旅人、新世界をつくる

旅をしながら新世界をつくっている人の日常

僕は新世界図書館に本を1冊も置くつもりがない

僕の考える新世界図書館は、従来の図書館とはそもそもの目的が異なるため、もう図書館じゃないなって思ってる。

従来の図書館が『知る』を主軸にしているけど、新世界図書館は『創る』が主軸だからね。

バンクーバー公立図書館のインスピレーションラボにヒントがあったから、図書館って言ってるんだけど、その内容を考えれば考えるほど、図書館じゃなくなっていくんだよね。

 

僕はね、新世界図書館に本を置かなくても良いって思ってるんだ。

図書館に本が置いてないのよ。

本が置いてある場所が図書館なのに、本が置いてないのよ。

本が置いてあるからこそ図書館なのに、僕は新世界図書館に本を用意する気が全くない。

図書館が本を用意して、誰かが読みに来る。

それが従来の図書館だけど、新世界図書館ではしたくない。

僕はそこに、与える側と与えられる側という分離感を感じるんだよね。

僕は、誰かのために新世界図書館に本を持ち寄るようにしたいんだ。

例えば、新世界図書館で読書会をするために本を持ち寄るとか、他の来館者が読みたがっていたから貸してあげようとか。

特定の誰かが本を用意するのではなく、不特定多数がそれぞれの目的のために本を持ち寄る。

そんな風にしたいのよね。

 

それにさ、新世界図書館の来館者が行うインプットは、本を主体ではなく、人を主体にしたい。

つまり、誰かの知恵をシェアしてもらって、それを自分の人生に活かすってこと。

新世界図書館では、誰かの夢をみんなで叶える場なんだけど、そこで行われるのはリソースの循環。

特に、これまでの人生経験からくる知恵を互いにシェアしあって、みんなで夢を叶えていく。

知恵の循環といってもいいかもしれない。

これまでは、知恵を手に入れるためにはお金が必要だったけど、新世界図書館では活きた知恵が他の来館者からシェアしてもらえる。

そのシェアによって、新たな知恵が生まれ、また違う人にシェアされていく。

そうした知恵の循環によって、来館者の願いは次々と叶えられていくってわけ。

 

例えばね、素敵な恋人をクリスマスまでにみつけたいとしよう。

そうすると、新世界図書館の来館者たちがこれまでの人生経験で培ってきた知恵をシェアしてくれるってわけ。

当然ながら、本には書いていないことも聞けたりする。

そうした活きた知恵をインプットできるのが新世界図書館。

インプットも主体は人。

だから、新世界図書館には本を主体的には置かないってわけ。

 

分離感の除去ってことを考えると、本を置くことはマストではないかな。

別においても良いのだけど、率先して置くようなことはしなくていいかな。

それよりも、来館者同士がこれまで培ってきた活きた知恵を、膝つきあわせてシェアして、互いの願いを叶えていった方が、面白いと思うんだよね。

知恵をシェアするから金よこせ、ではなく、相手への応援で善意でシェアする。

あなたの夢が僕の夢、そんな魂が交差するような交流ができる場に新世界図書館はしていきたいと思うんだ。