下がり続ける情報の価値!いっそのこと所有を放棄したらいいんじゃないか?
僕がセミナー業界で仕事をするようになって12年目に突入。
この12年でヒシヒシと感じるのは、ドンドンと情報の価値が下がり続けているってこと。
セミナービジネスってさ、悩み事を解決するノウハウやスキル、そうした情報を販売するビジネス。
もうね、情報の質だけでは満足してもらえないし、売れなくなって来たのよね。
「最先端の」「新時代の」「シリコンバレー式」「日本初上陸」といった言葉で何とか提供する情報に価値を持たせようと各社が一生懸命なんだけど、なかなか苦戦しているのが実情。
情報以外に価値を持たせないと、セミナーは売れなくなってきているのよね。
12年間セミナー業界にいて、それをヒシヒシと感じるのよ。
人間が価値を感じるポイントは、実益性、エンターテイメント性、ビジョン性の3つなんだけど、セミナーで取り扱っていたのは実益性の情報。
以前はそこに価値があって、みんなそれを手に入れようとお金を払っていたんだよね。
だけど、次第にお金を払わなくなってきた。
何故か?
無料でいくらでも手に入るようになったから。
インターネットの普及とフリーミアムによって、世界中どこからでも優良な情報を手に入れることができるようになったのよ。
欲しいものが海外からでも手に入るし、外国語が分からなくても翻訳サービスが無料で使える。
ブログやYoutubeでは、個人の持つ知恵が無料で公開され、お金を払わずとも学びたいことを無料で学べるようになってきたんだよね。
一流シェフが料理教室で学ぶようなことを、動画で無料で公開してたりするのよ。
その道のプロが様々なメディアを使って、その秘訣を教えてくれているのよ。
しかも、無料で。
無料で手に入れられる情報をわざわざお金を払って手に入れたいか? っていうと、う~んって感じだね。
もうさ、世界がそんな状態で情報に価値が無くなってきてるんだからさ、自分の持っている情報を何かと交換するようなことはしなくていいかな、って思うんだよね。
「わたしだけが持っている特別な情報があります。知りたい方は、お金ください」
そうしたトレードは、世界の流れに逆行している感覚があるんだよね。
こうしたことをやっていくとさ、勝負の世界になっちゃう。
俺の方が特別だ、価値がある、みたいなヒエラルキーができたりもする。
これってさ、平和に繋がっていくんかな? って考えると疑問。
だからさ、自分の持っている情報は全て無料にしたらいいかなって思う。
ここでね、シェアってことをちょっと考えたい。
最近は、シェアハウスやカーシェア、シェアオフィスなど数多くのシェアサービス誕生し、シェアの意識が広がってきたように感じる。
シェアリングエコノミーなんて言葉もある。
だけど、僕はちょっと違和感があるのよね。
というのも、今のシェアリングエコノミーには『所有権』があるのよ。
誰かが所有しているものを皆で借りている状態なのよね。
これは本当にシェアなのかな?
っていうのが僕は疑問なのよ。
僕は、シェアには所有権は必要ないなって感じてるのよ。
全てがみんなのものであり、専属で使用しているという状態で良いんじゃないかなって。
でね、セミナー業界をみるとね、知恵に所有権がある感じなのよ。
「僕の持っている知恵をシェアします。その代り、使用料としてお金をください」
そんな感じなのよね。
知恵の所有権を主張し、トレードをするってことが行われているわけ。
だけどさ、知恵はドンドンと無料で公開されていっているわけ。
トレード対象から、どんどん外れていくのよ。
そうしたらさ、知恵に所有権を持っていても意味がないんじゃないかって思うんだ。
それにさ、知恵ってさ、使われてこそ意味があると思うのよね。
自分の脳内に留めておいて、誰にも使われない知恵がある。
なんかそれって勿体ないよね。
その知恵で救われる人がいるかもしれないのに、所有権を主張するばかりに使わない。
知恵ってさ、使われてナンボだし、減るもんでもない。
人の役に立てることだし、もしかしたら、世界平和に繋がることかもしれない。
そんなことを考えると、知恵の所有権はみんな放棄して、世界中のみんなが使えられるようにしたら良いんじゃないかって思うんだ。
個人の知恵を世界の共有財産にする。
そんな感じだ。
考えてみると、足し算とか掛け算とか、文字とか、公式とか誰かの知恵が積み重なって今の世界ができているわけで、例えば掛け算を編み出した人が所有権を主張していたら、歴史はどうなっていただろう?
そんなことを思うと、知恵の所有権を放棄することは、やさしい世界により近づいていくんじゃないかと思う。
個人の知恵を世界の共有財産にする。
その共有財産を使えるようにする。
ソフィアプロジェクトは、そんな世界を目指したい。