旅人、新世界をつくる

旅をしながら新世界をつくっている人の日常

僕の創りたい新世界図書館の大きなヒントが読書会にあった

今年の3月から毎月、『神との対話読書会』ってのを開催しているのだけど、読書会には僕の考える新世界図書館の要素があるなって思う。

これまで僕は、読書会って開催したことがなかったんだよね。

参加したこともない。

セミナーやら勉強会、ワークショップなどは腐るほど開催してきたし、参加もしてきた。

だけど、読書会には縁がなかったというか、興味がなかったというか、未経験だったのよ。

だけどね、昨年秋ごろに『神との対話 完結編』が出版されて、読んだときに

「あっ、これもっと理解を深めたい! この本について、色んな人と話したい」

って強く思ったのよね。

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で、理解を深めるためには読書会が良さそうだな、って思って、すぐに興味ありそうな人を集めて、読書会を開催。

そうしたら、意外と盛り上がって、毎月開催することになったってわけ。

でね、その読書会でやっていることが、僕の考える新世界図書館でやりたいことだな、ってことに、つい最近感じたんだよね。

 

この読書会の何が新世界図書館の要素を感じさせるかっていうと、最たるは『一緒に創る』ってことができていること。

神との対話読書会には、1つのテーマがあって、そのテーマに沿って毎回話すんだよね。

そのテーマっていうのが、『人類の目覚め』。

そもそも、神との対話 完結編は、『人類の目覚め』をテーマにして書かれている本。

僕は、そのテーマに非常に惹かれ、もっと理解を深めたいと思ったんだ。

で、他の参加者も同じ。

僕も含め参加者全員が、

どうしたら自分は目覚めるのか?

どうしたら人類は目覚めるのか?

そもそも目覚めとは何だ?

みたいなことを考え、『人類の目覚め』という共通のゴールを一緒に向かっているんだよね。

ただ本の感想をシェアし合うのではなく、参加者全員が1冊の本を通して、共通で創りたいゴールに向かう。

これは、僕の考える新世界図書館のイメージにピッタリなんだよね。

 

さらに素晴らしいのは、誰かがゴールに連れていく、ということがないこと。

セミナーだと、既にクリアした人がまだクリアしていない人に、クリアの仕方を教えるよね。

これってさ、教える人と教えてもらう人の分離感が生まれるなぁ、って僕は感じてるんだよね。

だけど、読書会には、教える人と教えてもらう人の分離感がないって感じるんだ。

確かに、理解の進んでいる人が他の人にその気づきを教える瞬間てのはある。

しかし、それは一方通行のコミュニケーションではなくて、次の瞬間には、教える人と教えてもらう人が入れ替わるんだ。

これは、どういうことかというと、与えると受け取るに循環があるってこと。

セミナーだと、与える人は与える一方、受け取る人は受け取る一方。

だからさ、持ってる人が持っていない人に与える、というヒエラルキーが生まれるのだけど、読書会にはそれがないな、って感じたのよね。

どっちが上だとか下だとかない。

その時に持っているものを出し合って、一緒にひとつのゴールを目指していく。

これが僕の創りたい新世界図書館、『創る図書館』のイメージなんだよね。

 

神との対話読書会は、これまで3回開催されてきたのだけど、いつも同じテーマでだから、回を追うごとに理解が深くなるのを感じる。

で、参加者全員が興味のあるテーマだから、みんな日々、『目覚め』というものを考えて生活している。

だから、読書会でシェアをし合うのが楽しいし、気づきも多いのよね。

自分一人で考えて、自分一人で解決しようとしていたら、こうはならないなって感じるのよ。

これまで散々セミナーをやってきたけど、この感覚は今までなかったなぁ。

僕が講師をする時は、

「僕が参加者を幸せにする」

なんて言って、与える人と受け取る人のヒエラルキーを創っちゃってたし、参加者をコントロールしてたな。

それでお金をいただいていたのだけど、そうしたお金の受け取り方は、もういいやって感じ。

みんなが横並びで一緒に創る。

その方が断然、面白いなぁって思う。

僕は、ヒエラルキーなく分離感もなく、何かを一緒に創れる図書館を創りたい。

改めてそう思う。

そのヒントが、読書会にありそうなので、読書会を継続しつつ、新世界図書館の構想をさらに練っていきたいと思う。 

神との対話 完結編

神との対話 完結編