何があっても離れない!!熱狂的なファンを集めるために必要なエッセンスとは?
ファンを増やすため、応援を集めるためには、セーフティを土台にした世界観の表現をすれば、それは成される。
でも、『熱狂的ファン』ってことになると、もうひとエッセンス必要じゃないかって思うんだよね。
ファンの中にもさ、物珍しさでファンになった『にわかファン』もいれば、お金や時間を惜しみなくかける『熱狂的ファン』もいる。
にわかファンは何かあるとすぐに離れていくけど、熱狂的なファンはちょっとやそっとじゃ離れていかない。
この辺りバンドとかみると分かるんだけど、不倫とか仮想通貨とかでニュースを騒がしたとしても離れていかないのよ。
それどころか、アーティストを信じ、守ってくれる。
それが熱狂的なファン。
じゃぁ、アーティストでもない平々凡々な一般人である僕たちがどうしたら熱狂的なファンを集められるかっていうことなんだけど、ここは『価値』ってものを考えていくと答えが見つかる。
そもそもファンとか応援者っていうのはどんな人かっていうと、お金とか時間とか自慢脈とか情報とか、自分の大切な何かを提供してくれる人たち。
で、なんで彼らは自分の大切な時間やお金とかを惜しみなく提供してくれるかっていうと、「それだけの価値がある!」って感じているから。
じゃぁ、人は何に価値を感じるのか?
っていうことになるんだけど、人が価値を感じる要素は3つあって、
1つは、実用性。役立つか、便利か、儲かるかみたいなこと。
もう1つは、エンターテイメント性。映画や漫画、遊園地とか感情が揺れ動くもの。
そして最後が、ビジョン性。ビジョンに共感したとか、代わりに頑張ってほしいとか、一緒に目指したいとか。
この最後のビジョン性が熱狂的なファンを増やすカギだと僕は感じてる。
っていうのも、実用性、エンターテイメント性だけだと、もっと良いモノが出てきたときに乗り換えられちゃうことが往々にしてあるんだよね。
もっと便利なもの、もっと役立つもの、もっと楽しいものに、すぐ乗り換えられちゃうから、常にライバルを意識してなければいけなかったり、そもそもが勝負の世界になっちゃうのよ。
与えるものと与えられるものの分離感があるし、勝負の世界だし。
それってさ、疲れるよね。
でも、ビジョンは違う。
ビジョンをファンや応援者と一緒に創っていけば、与える与えないといった分離感はない。
そして、同じビジョンを描いている人とコラボレーションができる。
競争ではなく共創になるんだよね。
これってさ、格差も競争も奪い合いもない状態、調和された状態なんだよなぁ。
別に、実用性、エンターテイメント性を打ち出すのは自由だからそれでも良いんだけどね。
でも、それだと疲れちゃうかなぁ。
だから、見せ方は実用性、エンターテイメント性を打ち出すにしても、ビジョンをしっかりと描いておくっていうのが熱狂的ファンを増やすためには必要じゃないかと思うんだ。
ただ役に立つ、ただ面白い、だけでなく、
何故、それをやっているのか?
の答えを持っておくこと。
その答えを持って、世界観を表現する。
おまけにセーフティもシッカリできてるとなりゃ、熱狂的なファンが集まらない理由がないね。
ビジョン、堂々と掲げよう!!