「俺が会社を守らなきゃ」と頑張る経営者にかかっている呪縛
「俺が会社を守る!」
「わたしが社員を守ります!」
「社員とその家族は、僕が守る!」
経営者としてのその強い気持ちは大切だと感じる。
だけど、
「俺が会社を守らなきゃ」
「わたしが社員を守らなきゃ」
「社員とその家族は、僕が守らなきゃ」
という義務になってしまうと、経営が苦しくなるなぁって感じる。
僕の友人にもいるのよ。
「僕が会社を守らなきゃ……」
と言って、その重圧に苦しんでいる友人がさ。
会社を守りたい、家族を守りたいって気持ちは、彼らを愛する気持ちだし、その責任を経営者として背負うっていうのは、すごく立派なことだと思う。
でもさ、僕は思うんだ。
会社って、経営者が一人で頑張って守るものなのか?
経営者一人だけじゃなくて、社員や顧客やその周りにいる人たちと一緒に守っていったらいいじゃん。
逆に守って貰ったらいいじゃん。
そんな風に思う。
今から15年ほど前、僕は父親の経営する会社を代表取締役社長として手伝っていた時期がある。
その時の僕は友人のように、
「僕が会社を守らなきゃ」
「僕が会社をつぶさないようにシッカリしなきゃ」
「僕が社員を守らなきゃ」
みたいなことを考え、通常業務に加え、国家資格を取得したり、営業に出たりしていたね。
あれこれとやっていたんだけど、うまくいかないことの方が多くて、自分の実力不足と義務感の間にいるのが凄くプレッシャーだし、ストレスだったなぁ。
その後、セミナー講師を生業にするため父親の会社をやめ、今の仕事を始めるんだけど、社長という役割を離れてみて分かったのが、経営者一人で会社を守ろうとしなくていいってこと。
いつだったか思い出せないんだけど、ある日、瞑想をしていたらね、僕はこんなことに気が付いたんだ。
俺って、なんて偉大な存在なんだ!!
なぜ、そう感じたのかは分からないんだけど、自分の色々な部分を受け入れていったら、突如そんなそんな感覚にあふれたのよ。
で、それだけでなく、
僕だけでなく全ての人が偉大な存在なんだ!!
ってことも感じたのよ。
その時に僕は思ったんだ。
自分だけが偉大なのではなく全ての人が偉大なんだから、僕が誰かを守る必要なんてないんだな、って。
僕はこれまで、僕が会社を守るとか、セミナーを守るとか、参加者を守るとか、彼女を守るとか、いろんな守る『べき』ものがあると思ってた。
でもね、
彼らは僕に守られなければいけないような、やわな存在じゃない!
って感じたのよ。
だって、彼らは偉大な存在なんだから。
今だから思うんだけど、誰かを守らなければいけないというのは、その人を甘く見た傲慢な態度なんだよな。
そして、この態度は、守る人と守られる人っていう分離とヒエラルキーを生んでるよな。
守ってやってるんだから俺の言うことを聞け、給料払って生活の面倒見てるんだから俺のいうこと聞け、みたいなハラスメントを生む可能性もあるな。
そんなことを感じるわけですよ。
人ってさ、偉大な存在なのよ。
だからさ、経営者は社員の生活を守らなきゃいけないなんて、義務を負う必要は無いって僕は思う。
経営者がやることは、会社を一人で守ることでも、社員を一人で守ることではなく、社員の人が「守りたい!」と思える経営者になることであり、社員や顧客が「守りたい!」って思える会社を作ることじゃないかな?
社員や顧客、業界、地域、国、世界が
「あの会社は絶対に潰しちゃいけない」
「あの会社がつぶれるのは世界の損失だ」
と感じるような経営者になること。
世界中の人たちに守ってもらえる経営者となり、会社となること。
経営者一人で守ろうとするのではなく、みんなで守っていく。
そうなると経営はもっと楽しくなるね。