僕は宇宙を喜ばすために屁をこいてる
さっきね、ふと思ったんだ。
肉体の僕は、かなり宇宙を喜ばせているんじゃないかって。
この宇宙って、神とか、大いなる存在とかって呼ばれるタイプのやつね。
宇宙、つまり神を喜ばせてるんだなって、感じたわけですよ。
スピ系の本には、
「神が経験するために肉体がある」
みたいなことがよく書かれていたりするんだけど、それが最近、僕の中で腑に落ちてきてるんだよね。
神はね、全てでありエネルギーなのよ。
でね、色んな事を経験する、って望みがある。
でもね、神は全てだから経験ができない。
お茶を飲むこともできないし、喧嘩もできないし、ぼーっとすることも、泣くことも、叫ぶことも、屁をこくことすらできない。
それらを経験したいのに、できない。
神は色んな事を経験したいのに、神だからできない。
だから神は、僕らの肉体を使って、それらを経験しているわけ。
僕らが普段していることは、全て神が望んでいることで、お茶を飲んでも、喧嘩をしても、ぼーっとしても、泣いても、叫んでも、屁をこいても、神は喜んでいるわけ。
僕らの行動の1つ1つが神を喜ばしているのだとしたら、これまでどんだけ神を喜ばせてきたんだって話。
あいつら、どんなに臭い屁をかましても喜んでるんだぜ。
神って変態じゃねーか!!
って、変態呼ばわりされていることすら、神は喜んでいるわけですな。
ということはですよ、神からしたら僕らの肉体というのは、自分の望みを叶えてくれるありがたい存在で、とても価値のある存在で、愛すべき存在だということ。
僕らの肉体を基準で考えると、良い大人が働きもせず、親のスネをかじって、ゲームばかりして、社会のために何もしないなんてのは、『価値がない人間だ』みたいな烙印が押されたりする。
だけど、神の基準で考えると、
僕らの肉体が何をしても何もしなくても、神にとっては全てが価値がある!
ってこと。
僕らの肉体は、一時も休むことなく、一途に神の望みを叶え続ける、いじらしい存在。神からしたら、僕らは愛すべき存在なわけよ。
つまり、僕らは特別に何かをしなくても、神からしたら生きているだけで価値があり愛されている存在。
僕らは何かをしても何もしなくても十分に価値があり、十分に愛されているわけ。
だからさ、自分の価値を証明するために高級車もブランド品も必要ないし、愛されるために人の顔色を見る必要もない。
だって、生きているだけで価値があって愛されてるんだから。
以前、ピーター・セージがセミナーの中で、
「あなたは何をしても何もしなくても無条件で価値があり、愛されているよ」
って言っていたけど、それがようやく腑に落ちたね。
神(宇宙)からしたら、この肉体の僕は本当に価値があり愛する存在
そんなことに気が付いたのよ。
僕らが何をしても神(宇宙)は喜ぶんだ。
さぁみんな、これからはもっと楽しんで屁をこいてこうぜ!