旅人、新世界をつくる

旅をしながら新世界をつくっている人の日常

「この世界はホログラムである」って本当? ホログラムの証明を試みた結果

「この世界はホログラムである」

とかいうけどね、ハッキリ言ってよくわからんよね。

映画のマトリックスやトータルリコールの話を持ち出して、この世界がホログラムであるという話を聞いても、腑に落ちない。

理屈では分かるよ。

そうだったら面白いよね、って気持ちもある。

でもさ、腑に落ちては無いんだよね。

だって、現実としてそこにあるじゃんか。

ホログラムなのかもとは思っているけど、それが本当にそうなのかが分からない。

この世界はホログラムである、って言っている人も何でホログラムなのかを説明してくれない。

説明してくれないとさ、手放しでそれが本当だとは信じられないのよ。

でね、だれも説明してくれないから、自分で説明ができるように、この世界がホログラムであることを証明しようって考えたんだ。

 

さて、この世界がホログラムであるということをどうやって証明しようか?

と考えた時に僕が感じたことは、

「それがそこに存在することが証明できれば良いんじゃないか?」

ってこと。

例えば、目の前にリンゴがあるとする。

このリンゴが本当に存在しているのかを証明できたら良いんじゃないかなって。

そこでふと思った。

僕の視界に入ってない空間には、本当に僕の知っている空間が広がっているのだろうか?

例えば、僕の部屋の扉の外には、廊下があり、トイレがある。

今、僕は自分の部屋でブログを書いているけど、今この瞬間に扉の外にはトイレが本当に存在しているのだろうか?

そんなことを考えたら、これは証明できないなって。

トイレが存在を証明できるようにトイレ前にカメラを設置してモニターでチェックしたとしても、それはトイレが映っているモニターを見ているだけで、本当にそこにトイレが存在していることの証明にはならないのよね。

 

例えば、友人と電話で話したとする。

電話口で話した人は、本当に友人なのだろうか?

これをどうやって証明できるだろうか?

証明できない。

僕たち人間には、心臓があるとされている。

では、本当に自分の体の中に心臓は存在するのだろうか?

自分の心臓をその目で見たことがあるのか?

いや、ない。

見たことがないのに僕たちは体の中に心臓があると信じて疑っていない。

実際に動いているのは、心臓ではなく、モーターかもしれない。

レントゲンを撮って、「これがあなたの心臓ですよ」と言われても、それは心臓だと思われるものが映っているレントゲン写真であり、心臓ではない。

自分に心臓があるかどうかは証明ができない。

そんな風に感じたんだよね。

 

よく考えてみるとさ、僕たちが当たり前に存在していると思っているものは、存在を証明することができないのよね。

目の前にリンゴがあって、それを触っていたとしても、その存在は証明できないのよ。

例えばね、リンゴを1つ持っているとする。

そこにリンゴがあるか?

目に見えるから、リンゴは存在すると言うだろう。

では、目をつぶってみよう。

本当に手の上にリンゴはあるか?

視覚でリンゴを証明することは出来ない。

もしかしたら、リンゴの形をしたおもちゃかもしれない。

だから、ちょっと臭いをかいでみる。

リンゴの匂いがした。

でも、それはリンゴの形をしたおもちゃに香料が塗ってあるだけかもしれない。

そこで、一口かじってみる。

シャリっていう音が聞こえ、口いっぱいにリンゴの酸味が広がる。

確かにこれはリンゴだと思うだろう。

では、嗅覚も聴覚も味覚も無くなったらどうだろう。

手に持っているものをリンゴだと証明するヒントは、触覚しかない。

手の感覚だけでそれをリンゴだとどうやって証明する?

証明は出来ない。

これはどういうことかというと、リンゴをリンゴと知覚するには五感が必要だということだ。

 

で、五感というのは肉体だ。

自分の肉体は五感があるからこそ、肉体だと分かる。

しかし、何かの病気で五感全ての機能が失われたとしよう。

自分の肉体が存在していることをどうやって証明する。

そもそも自分が生きているのか死んでいるのかもわからない。

自分という意識だけがある。

自分という意識が存在しているのは分かる。

しかしだ、自分の肉体や周りの世界が存在しているということは、自分では証明のしようがない。

自分から五感の機能を切り離したら、存在を証明できないんだなって思ったんだ。

 

こうしたことを考えて思ったのは、この現実世界に確かなものなんて無いってこと。

自分がそこにリンゴがあると思っているからリンゴが存在し、扉の向こうにトイレがあると思っているから、扉の外にトイレがある。

自分の中に心臓があると思っているし、電話で友達と話したと思っている。

しかし、それは本当かどうかわからない。

結局は、自分が見たいようにこの世界を見ている。

この世界はこういう世界だ、と信じているから、その世界が広がっている。

ということが分かった。

自分が現実だと思っている世界も、五感をシャットダウンしてしまえば、すべてなくなる。

生も死もない。

ただ自分の意識だけがある。

意識だけの状態で五感を1つずつ回復させていったら、目の前の現実が広がっていくんだよね。

そんなことをひっくるめて僕が感じたのは、この現実世界というのは、自分のもつ世界の認識を五感で感じられる状態になった高性能ホログラムってこと。

そんな答えに辿り着いた。

 

この世界はホログラムである。

はじめのうちは腑に落ちなかったけど、五感のキーワードにして考えていくと、だんだん腑に落ちてきたね。

完全に腑に落ちていない部分も正直あるんだけど、全てが幻想だと開き直っちゃうくらいで良いんじゃないかな。

そんな生き方でちょうどいい気がする。