自分探しを10年間してようやく気付いた「本当の自分なんていない」
「本当の自分って何者なんだろうなぁ?」
「自分は何のために生まれてきたんだろう?」
ってのが、ずっと疑問だったのよね。
特に生きる意味なんてのは、中学生のころから感じていて、
「自分って、なんのために生きてるんだろう?」
って感じてるところがあったんだ。
学校に行って、友達とふざけて、先生に怒られて、帰宅して、また友達と遊んで、暗くなったら帰宅して、夕飯食べて、塾に行って。
そんな毎日。
別につまらなくはないし、それなりに楽しい。
毎日を楽しみつつも、生きる意味が分からないモヤッとしたところがあったんだよね。
小学校の頃は、そんなことを考えたこともなかったんだけど、知識が増え、思春期になるにつれ、なんかそんなことを考え始めたような記憶があるんだ。
今から13年くらい前、僕は父親の会社を手伝っていたんだけど、毎日が全然楽しくなかったんだよね。
働いているというより、働かされている感じで、生きている実感が全然なかった。
毎月、安定した収入が入ってくるし、急に解雇される心配はない。
無職になってご飯を食べられなくなるなんて心配がない仕事をしている。
だけどね、毎日が楽しくないのよ。
働き甲斐も生き甲斐もないっていうのかな。
ご飯は食べれる。
だから死ぬ心配はない。
だけどね、生きてるって感じがしないのよ。
ただ、生きながらえているって感じ。
やりたいこともわからず、何がやれるかもわからない。
「何のために生きてるんだろう?」
って、生きる意味も分からない。
そもそも何のために生まれてきたんだろう? って。
ハッキリ言って、生きていることを辛かったね。
だって、生きている意味が分からないんだもん。
ご飯を食べるために生きている。
そんな感じだったからさ、
「もうこの世にいなくても良いんじゃないか?」
って考えたりもしたんだ。
でも、自殺だけはする気になれなかった。
というか、死ぬつもりもなかったんだけどね。
生きている意味が分からず、生きているのは苦しい。
死んでも変わらないんじゃないかって思ったけど、実際に死ぬ気持ちはこれっぽっちも生まれなかったんだよね。
だからさ、どうしたら現状から抜け出せるか、その方法を探し始めた。
自分は何がしたいのか?
本当の自分ってどんな人間なのか?
何のために生まれたのか?
などなど、書籍やセミナーで勉強を始めたんだ。
自分を知るための診断も受けたし、鑑定もしてもらった。
だけど、しっくりこない。
納得できる部分は多い。
でも、手放しで全てを受け入れることができなかったんだよね。
確かにその側面はあるのはわかる。
しかし、それが自分の全てだとは感じられず、違和感があった。
だから探し続けた。
本当の自分を。
本当の自分って何者なの?
この問いの答えを探し続けてたら、10年以上の時間が経過してたんだ。
でね、昨年くらいかな、ようやく答えが見つかったんだ。
本当の自分ってのが分かったのよ。
本当の自分を探してみて、ようやくわかった。
本当の自分なんか、いない。
そう、本当の自分なんかいないのよ。
本当の自分を見つけようと、自分探ししても見つからないのは当たり前だよ。
だって、本当の自分なんていないんだもん。
いないものを探したって、そりゃ見つかるわけないさ。
本当の自分は、いない。
だから、探すなんてのは無駄なんだってことが、10年以上経ってようやくわかった。
もう少し言うとね、僕たち人間は全ての性質をもっているんだよね。
光と影、賢者と愚者、陰と陽、プラスとマイナス。
ありとあらゆる側面の性質を持っている。
全て持ってるのよ。
だからね、僕たちは「特定のなにか」ではなくて、全てなのよ。
自分探しって言うとね、今の自分が自分ではなくて、今の自分ではない特定の何かを探すことを意味してると思うんだ。
だけどね、今の自分に違和感を感じている自分も自分で、特定の何かを探そうとしている自分も自分ってこと。
つまり、本当の自分 イコール 特定の何か ではなく、今この瞬間が本当の自分ってこと。
だから、「特定の何か」という意味の「本当の自分」なんかいないってことよ。
だって僕たちは、全てなんだから。
自分は全てである。
ということに気が付くとね、あとは選択するだけなんだよね。
自分がどんな生き方をしたいか、何者で在りたいか。
すべて選択の問題。
自分の意志で選択した特定の自分が、いわゆる俗にいう「本当の自分」って言えるかな。
だからね、本当の自分ってのはさ、探すものじゃなくて創るものなのよ。
探してもいない。
だって全てが自分だから。
そのすべての中から特定の性質を選択し、特定の(本当の)自分を創る。
ってこと。
本当の自分は、創るものなのよ。
そして、誰でもすぐに創れるのよ。
「これが本当の自分」って選択すればいいだけなのよ。
過去に自分がどんな自分で在ったかなんて関係ない。
今、自分がどうありたいか?
どんな自分でいたいか?
ただ選択すればいい。
ただそれだけなんだなってことに、10年自分探しをしてようやく気が付いたよ。
本当の自分は、探すものじゃなく、創るもの。
本当の自分を創っていこう。