僕は自分で不平不満の世界を創造していたことが分かったので止めた
先月から、90日で年齢×1万回(僕は44万回)のありがとうを唱え続けるってことをはじめて、もうすぐ30日が経過する。
90日で44万回のありがとうを唱えるわけでしょ。
だからさ、約5000回のありがとうを毎日唱え続けて、44万回のありがとうマラソンが完走になる。
だけど、1か月経過した僕のありがとうカウントは、
1万回も達してない。。。
実際は、毎日ありがとうを5000回以上は唱えているのよ。
だけどさ、1万回も達してないの。
その理由はね、ついついネガティブワードを口走っちゃうから。
ありがとうマラソンのルールとしてね、悪口、愚痴、不平不満、弱音なんかを口にするとありがとうカウントがゼロにリセットされる。
これがまぁ、なかなかの曲者でさ、1週間かけて3万回のありがとうカウントを稼いでも、無自覚で口走ったネガティブワードでカウントリセットになってしまうんだよね。
そんなことが1回や2回じゃないのよ。
ありがとうマラソンを友人たちとやってるのだけど、みんなリセットしてる。
このリセットルールがありがとうマラソンの完走を難しくしているんだよね。
ネガティブワード。
ついつい言っちゃうんだよね。
特に不平不満。
普段、思っても口に出さないようにしているのだけど、家族とか恋人とか友人とか、親しい人たちと雑談してると、ついつい本音が出てきちゃうんだよね。
ここで分かったのは、
「あ~、俺、甘えてるんだな。被害者の自分を慰めて欲しいんだな」
ってこと。
自分の不快な気持ちの原因を自分の外側にこじつけて、その状況に陥ってる自分を慰めて欲しいんだなって。
そして、自分が正しいってことを認めてもらいたいんだなって。
そんなことに気づいたんだ。
目の前の現実の全てを受け止めるか、それとも、特定の現実だけを受け止めるかは、個人の選択。
僕は、特定の現実だけを善しとして、そうなっていない現実を悪として不満をタラタラ言ってたんだ。
目の前の現実をどう解釈するか、どんな意味付けをするかなんて、個人の選択に過ぎないのにね。
コーチングで散々学んできたのにね。
僕は、現実の全てをOKとすることができてなかったってことに気が付いたんだ。
ありがとうマラソンのリセットルールは、頑張って蓄積したカウントがリセットされちゃうから、一見、ひどいルールのように感じる。
だけどね、このルールがもたらす人生におけるメリットのほうが大きいなって感じるのよ。
だってさ、ネガティブワードを発することによって、
・これまで無自覚で発言してきたネガティブワードに気づくことができる
・自覚してネガティブワード発言を控えることができる
・ネガティブワードを発言している原因究明のキッカケになる
・原因がわかったら完全に止めることができる
などと言ったことができるんだよね。
自分が発する言葉を自分の意志で自由に選ぶことができるんだ。
現実は言葉から生まれる。
そんなことが言われるけど、不平不満を口走っていたら不平不満を感じざるを得ない世界が目の前に広がってくる。
これをね、自分の意志でストップして、ありがとうを感じざるを得ない世界を目の前に広げることもできるんだよね。
つまり、自分の現実を自由に創造できるってこと。
これまでは、僕の前には不平不満の多い世界が広がっていた。
だけどさ、その世界は僕自身が作り出していたんだってことが分かった。
この宇宙は、自分が作り出したものしか受け取ることができない。
つまり、この世界に不平不満を感じているってことは、自分が作っているってこと。
不平不満の言葉で、不平不満の世界を作っていたんだよね。
自分で作っておいて、その世界に文句を垂れる。
あまりにも自作自演の茶番だよね。
そんな茶番、やめちまえばいい。
だって、面白くないし。
もっと面白い世界を作ったらいい。
そんなことをありがとうマラソンで感じた。
ありがとうマラソンを初めて30日。
カウントは1万回にも満たず、進捗としてはまだまだだけど、リセットルールのおかげでいろいろなことが気づけた。
これからもリセットはされると思う。
だけど、それは一つ一つ石を取り除くようなもので、いずれスーッと滞りなくスムーズにカウントを重ねられるんじゃないかと思うんだ。
うん、未来はますます楽しくなりそうだ。