旅人、新世界をつくる

旅をしながら新世界をつくっている人の日常

決めたら良いのはわかるけど簡単には決められないのよ

「そうはいっても、なかなか決めることができないんですよ」

自分の生き方を決めたらそれ通りになるぜ! ってことをセミナーとかで話をすると、そういった声が上がってくる。

まぁ、そうだよね。

僕もそうだったもん。

決めたらいいのは分かる。

そうしたら、うまくいきそうだってのも強く感じる。

そうはいってもさ、『決める』ってのは怖いよね。

口では、「○○することに決めた!」って言ったとしても、心では決めることができないこともあるしね。

心から「決める」っていうのは、なかなか難しいこともあるよね。

 

この「決める」怖さって何かって考えるとさ、間違いたくない、失敗したくない恐怖があるなって感じるんだよね。

「これを決めちゃっていいのかなぁ……この決断が間違ってたらどうしよう……」

「ここで決断して、もっと悪い方向にいかないかしら……」

そんなことを考えちゃって、決めることに二の足を踏んじゃったりする。

ついつい『正しさ』を求めてしまって、間違ったことが起きることに恐怖を感じちゃうんだよな。

正しいか間違ってるかなんて、後になってからじゃないとわからないし、そもそも自分の意味付け次第で何とでもなるのに、正しさを求める思考習慣になってるから、間違うことに恐怖がわいてくるのよね。

 

でね、さらに言うと、本当の恐怖は『間違った選択をすること』ではなくて、そこに起こる他人の評価ったりするのよね。

「あいつ、失敗したみたいだぜ、だせぇ」

「そんなことも出来ない人みたいよ」

「あの人、バカな選択したわね」

などといった、自分の決断に対しての批判、否定、拒絶などをされるのが怖いわけ。

そして、そうしたことによって、

「自分には価値がないんじゃないか?」

「自分は愛されていないんじゃないか?」

って、感じるのが怖いのよね。

まとめると、自分には価値がない、自分は愛されていない、という2つの恐怖を感じないように、『決める』ことを避けてるってわけ。

 

この2つの恐怖、凄く強力なのよ。

子どものころから、いたるところで植え付けられている恐怖なんだよね。

骨の髄まで恐怖がしみついちゃってるのよ。

だからさ。「自分の生き方を決めろ!」って言われても、そうできないのもしょうがないなって、僕は思うんだよね。

でも、そんなこと言ってたら、いつまでも自分の生き方ができないかもしれない。

人生に不満を抱えたまま、命の幕を下ろしてしまうかもしれない。

そんなのはちょっと勿体ない感じがするのよね。

そう考えると、恐怖を感じても『決める』ってことができるようになるといいなって思う。

 

僕の場合なんだけどね、何かを決めるときは例に違わず恐怖が湧いてくる。

今はそれほど感じなくなってきたけど、セミナー講師になるときとか、自転車日本一周をするときとか、何日もあれこれと考え決められなかったんだ。

でね、恐怖が消えたわけではないんだけど、あることによって『決める』ことができたんだ。

それは何かっていうと、開き直り。

「もう、どうにでもなれ~」って完全に開き直って、その勢いで決めたね。

だってさ、いくら考えても決まらないんだもん。

考えようと思ったら、やる理由もやらない理由も共にいくらでも出てくる。

きりがない。

で、魂の声を聴いたら「やりたい」っていうのよ。

でも恐怖はあるからさ、もう開き直るしかないよね。

開き直って、「やる」って決めた。

そうしたらうまくいって、人生が開けてきたんだ。

開き直れるんなら、開き直っちゃうのが一番早いかなってのが僕の実感。

 

本当はね、恐怖が取り除けるといいんだよね。

自分は何をしても何もしなくても十分に価値があり愛されている。

そう感じられるようになると、周りの声に怯えることも振り回されることもなくなってくる。

だけど、自分がそういう存在だと気づくまでには、時間がかかったりもするからね。

だから、できるところからでいいから、「決める」ってことをして、自分の決断で価値が下がることも愛されなくなることもないって確信を高めていったら良いんじゃないかな?

ちょっと決めづらいことは、ほんの少し勇気を出して、開き直って決めたらいい。

そうやって、自分の人生は自分が創り出している実感と、自分という存在のすばらしさをほんの少しずつ感じていったらいい。

僕は、そう思うんだ。