旅人、新世界をつくる

旅をしながら新世界をつくっている人の日常

夢をカタチにする勇気が欲しいなら自分を素直に表現することからスタート

やりたいことをやる。

これってさ、言うのは簡単だけど、実際にやるってなると難しいなぁって思う。

 

というのもさ、色々と恐怖や不安が付きまとうんだよね。

 

そもそもさ、やりたいことを素直にやりたいって言えなかったりするのよ。

やりたいことを素直に言おうとすると、

「冗談でしょ?」

「お前にできるの?」

「いい年して何言ってるの?」

みたいな否定、拒絶、拒否が出てくる。

所謂、ドリームキラーってやつ。

結局は、その周りの声に負けて、夢を諦めてしまう自分の責任なんだけどね。

blog.kurosakihideomi.com

 

でも、そんな否定を子どもの頃からされていたら、やりたいことをやりたいって言えない体質になっちゃうというか、

「僕は夢を目指しちゃいけないんだ」

「やりたいことをやりたいって言っちゃいけないんだ」

みたいな信念で生きてしまっちゃうのは当たり前だなって思う。

 

これまで、様々なセミナーで参加者をサポートしてきたけど、こうして自分のやりたいことがわからない、夢が見えない人っていうのは沢山いる。

そういう人たちに対して、

「人間、1つくらいは夢があると思うんですけど」

みたいな講師の言葉ってかなり残酷で、夢がない自分はダメな人間なんだと泣き出してしまう人がいるんだよね。

講師本人は、特に悪気があって言っているわけではないんだけど、そのスタンスでセミナーが続けられると、自分のやりたいことが分からなくて、もがいてるけどどうしようもなくて苦しんでいる人には、苦痛でしかない。

 

僕もね、13年くらい前は、自分がやりたいことが何だか分からず、生きる意味を失っていた時があった。

バンドをやめて、父親の会社を手伝うようになった。

だけど、その仕事が楽しくない。

これまで心配かけた親を安心させるために、父親の会社を手伝っていたから、特にやりたい仕事ではなかったのよね。

朝から晩まで働いて、休みは日曜のみ。

それがこれからもずっと続くとなると、自分の将来に不安しかなかった。

だからといって、何がやりたいのか、何ができるのかもわからない。

ただただ、毎日が退屈。

ご飯を食べるために生きているような毎日。

「俺、生きていて何か意味があるのかな?」

なんて、生きる意味すら失っていたっけ。

だけど、命を絶つ勇気は持ち合わせてはいない。

何かしたいんだけど、何をしたらいいかわからない。

何かを変えようと、自己啓発の本を読む。

書いてあったのは、夢を持とう!!

本を投げ捨てる。

 

ウルセー!!

どうやって夢が持てるかわからないから、悩んでるんじゃ、ボケ!!

 

そんな感じだったね。

 

やりたいことが分からない。

夢が見えない。

これがどれだけ苦しいことかってのは、僕は十分に体験した。

だけど、ある縁が重なって、セミナー講師になる、って夢が見つかった。

だけどね、それを人に言えなかったんだよね。

とくに両親に。

「俺、セミナー講師になりたい」

って言い出せなかった。

「やりたいことがあるから、お父さんの会社を辞める」

って言い出せなかったんだ。

そこには、恐怖があったんだ。

 

僕が怖かったのは、父親に勘当されること。

親子の縁を切られることが怖かった。

後継ぎができて喜んでいる父親を悲しませ、失望させてしまうことも怖かった。

自分な大切な人を傷つけてしまうことが怖かった。

やりたいことを否定されることも怖かった。

それによって自分の価値が下がることが怖かった。

とにかく色々なことが怖かったのよ。

だから、両親には自分がセミナー講師になるために色々と勉強していることも話さなかったし、両親に話さないまま講師デビューをした。

特に話す必要はないんだけど、話さないというよりは親の目を盗んでやっていた感じだ。

自分がやりたいことなのに。

悪いことをしているわけではないのに。

だけど、やりたいっていうことができなかったんだよね。

 

その後、僕はコーチングをしてもらって、自分のために父親に会社を辞める決断をし、父親に伝え、会社を辞め、講師業に軸足を持たせることができた。

僕がやりたいことを父親に話したとき、

「やりたいことがあるなら、今のうちにやっておいた方が良いよ」

って、あっさり承諾してくれた。

僕が恐怖におびえていたには何だったんだっていうくらいアッサリ。

特に勘当されることもなく、やりたいことを応援してくれた。

結局ね、抱えていた恐怖なんて、自分が勝手に作り出したものだったんだよな。

恐怖を勝手に作り出し、勝手に怯えている。

もうね、自作自演の極みよ。

これまでのプロセスでそんなことが分かったね。

 

僕の恐怖ってさ、まとめると、

わたしには価値が無い

わたしは愛されていない

だったのよね。

それを感じるのが怖かったのよ。

父親に価値が無いと思われたり、愛されてないと感じるのが怖かったんだな。

でもさ、それって幻想だったりするな、って今だと思う。

自分が勝手に、

わたしには価値が無い

わたしは愛されていない

って思って、その恐怖に怯えてるんだなって。

それで、一歩が踏み出せず、足踏みしてるんだなって。

本当はさ、僕たちは、何をしても何もしなくても十分に価値があり愛されている存在なのよ。

でもさ、それは実感しないと、恐怖が常に付きまとうし、自分のやりたいこと、自分の生きたい生き方の弊害になったりするんだよね。

だからさ、ほんの少しの勇気が必要だと思うんだよね。

大きなことをする勇気ではなく、ほんの小さなことで良いから、自分のためにこれまでとは違うことをする勇気がさ。

食べたいものは食べたい、やりたいことはやりたい。

そんなことでもいいと思う。

分からないことは分からない。

でもいいと思う。

自分を素直に表現するってことから、スタートしたら良いんじゃないかな。

自分を表現して、自分は価値があるし愛されてるって実感を少しずつ、ほんの少しずつでも実感して、その確信を高めていったら良いんじゃないかなって。

素直さは、信頼につながり、応援も増える。

自信にもつながる。

本当にやりたいことをやるための恐怖は、素直になるところからスタートしたら良いんじゃないかな。

僕はそう思うんだ。