旅人、新世界をつくる

旅をしながら新世界をつくっている人の日常

「今、ここに生きよう!」っていうけど『今』っていつ?『ここ』ってどこ?

ここ数年、『今ここ』っていう言葉をよく聞くよね。

 

「今ここに集中しましょう!」

「今ここに生きると幸せになるよ」

みたいな発信をやたらと見かける。

 

この言葉を初めて聞いたときは、

「おぉ、そうだよね!今ここに生きるって大事だよね!」

って思ったりしたんだけど、実際にやってみようとするとできない。

というか、意味がよくわからない。

 

何?今ここって?

 

何となくは分かるけど、よく理解していないから再現するなんて無理なんだよね。

具体的に何をすることが『今ここに生きる』ってことなのかがよくわからないのさ。

 

確かにね、過去の罪悪感や怒りに捕らわれず、未来への期待や不安に捕らわれず、今に集中することができたら、どんなに良いだろうね。

過去でもなく未来でもなく、現在に集中する生き方。

でもさ、これって『今を生きる』なんだよね。

「今を生きようぜ!」ならわかるんだ。

でもさ、「今ここを生きようぜ!」ってなると、

 

ここってどこだよ!

 

って疑問が湧いてくる。

「今を生きる」ではなく「今ここを生きる」だとするなら、

『今』はいつなのか?

『ここ』はどこなのか?

を明確に定義したほうがよさそうだ。

 

ってことで、定義を考えたんだけど、いきなり僕の考えを記す前に、一緒に『今ここ』を体験してもらおうと思う。

 

この下にある文字をよく見てほしい。

 

 

はい!これが『今ここ』!

 

もう一度、やるよ。

下の文字をじっくり見てね。

 

 

これ!これが『今ここ』!

 

分かるかな?

 

今、僕らは「あ」という文字をじっと見た。

この時、過去の罪悪感や怒り等は感じたかな?

未来の不安や過度な期待感はどうだろう?

「あ」という文字をじっと見た時、過去も未来もなく『今』だったはずだ。

これが『今ここ』。

 

つまり、

自分が意識を集中している瞬間が『今』であり、自分の意識を集中させた場所が『ここ』

ってわけ。

だからさ、意識が過去や未来に飛んだらそれは『今』ではないし、あれもこれも心配って意識が四方八方に飛んだら『ここ』ではないの。

 

そうするとさ、「今ここに生きる」ってのは、

自分が意識を集中させたいことに意識を集中させて生きる

ってことなんだと僕は思う。

簡単に言うと、

過去とか未来とか関係ないから、やりたいことやっちゃえよ!

ってことなのかなと。

本当にやりたいことをやっている時ってさ、すごく意識が集中してるでしょ。

ゾーンに入っちゃって、周りのことが目に入らない状態。

時間も忘れちゃうような、そんな状態。

これが『今ここ』なんじゃないかって。

 

 

だけど多くの人は、それが出来ないよね。

意識を集中させるってなかなかに難しいからね。

でもさ、そもそも、自分が何に意識を集中させたいか? すら分かっていない場合も多いなぁって感じるんだ。

自分が何に意識を集中させたいか?、つまり、自分が本当にやりたいことは何か? が分かっていないってこと。

さっきの「あ」は意識を集中させる対象があったから『今ここ』が体験できたけど、実際の所、自分が何に意識を集中させたいかが分かっていないのに、意識を集中させられるわけがないなって思う。

 

だからさ、自分が本当にやりたいことを知るってのが大事なんだけど、残念ながら自分の気持ちを知るセンサーが鈍ってるのよね。

自分の本当の気持ちがよくわからないってのは、センサーが鈍ってるの。

そうすると、マインドフルネスだなんだかんだが世間で言われているように、瞑想するのが良いのかなって思う。

瞑想ってさ、自分の呼吸に意識を集中させなさい、とかいうけどそれこそがまさに『今ここ』。

ヴィパッサナー瞑想だと、自分の一つ一つの動作を実況中継するってのがあるけど、あれも『今ここ』。

そうした瞑想が『今ここ』のトレーニングになって、自分の気持ちを知るセンサーを敏感にしてくれる。

そんな感覚があるね。

 

これが僕の考える『今ここ』。

本当にやりたいことを知り、それに意識を集中して生きる。

そんな生き方は、とても楽しそうだね。