「わたし」の意識の範囲を飛ばすってどういうこと?っていう質問に回答するよ
ブログの読者さんから、こんなご質問を頂いたよ。
クロサキさんの意識の範囲ということについて、とても自分的に引っかかっていることがあります。
分離という言葉が気になったのと、そうならなくするには意識を飛ばすと書いてあったその飛ばすがわかりません。
でも、ブログを何回も読んでいたら、「広げるという意味かな」と分かりました。
<世界を変えることは特別なことではなく、単に「わたし」の幸せの追求である> の記事を何回も読みました。
ここには、<捉える>という言葉がたくさん使われていますが、その<捉える>というのが記事を読めば読むほどどういうことかよくわからなくなって頭が混乱しています。
<捉える>とは、<想像する>みたいな感じでしょうか?
それとも<思い込む><思いやり>という感じでしょうか?
( ※ご質問内容を分かりやすくするため、一部、修正しています。)
ご質問いただいた方は、ブログをガッチリと読み込んでくれているみたいで、さらにこうしたご質問まで頂けるというのは、本当に励みになるね。
記事を書いてよかったなぁって、心から思うよ。
まずはこの方に感謝をしたい!
本当にありがとうございます!!
さて、この方が何度も読んでくれた記事っていうのがこれ。
この中にね、
「わたし」の意識の範囲を飛ばす
っていうのがあって、
目の前の人も「わたし」、所属するコミュニティも「わたし」、住んでいる地域も「わたし」といった感じで、空間の「わたし」の意識の範囲を飛ばしていった。
それだけでなく、時間の「わたし」の意識の範囲も同時に飛ばしてみた。
100年前の日本も「わたし」、100年後の世界も「わたし」。
全ての空間、過去現在未来、つまり宇宙全体が「わたし」。
そんな風に「わたし」というものを捉えてみたのよ。
っていう風に書いているのよ。
こうして、宇宙全体を「わたし」と捉えるたら、世界に起きていること全てが自分事になるから、世界を変えるっていうのは決して特別なことじゃなくなるよね、っていう内容。
質問者は、この「わたし」の意識の範囲を飛ばす、とか、「捉える」っていうことに引っ掛かりがあるということですね。
ということで、このご質問にお答えしていこう。
で、「わたし」の意識の範囲を飛ばす、っていうのは、すごく簡単にいうのであれば、自分以外のことも自分事として考える、ってこと。
多くの場合、自分以外の人のことは他人事。
なかなか自分事として考えることができないよね。
自分事として考えたいんだけど、どこかで他人事。
他人のことを本気で考えることは、そうそうにないよね。
で何でそれが出来ないかっていうと、
わたしはわたし、あなたはあなた
っていう、わたし、あなたっていう分離感があるから。
わたしとあなたは別々のものであるって思っているから。
だから自分事としては考えにくいのよ。
じゃぁどうしたら良いかっていうと、
「わたし」という認識を変えること。
僕たちは、この自分の肉体が「わたし」って認識しているよね。
この認識だとさ、自分の肉体が「わたし」で、肉体以外は「わたし」ではない別物という分離感があるのよ。
では、ちょっと認識を変えてみようか。
自分の肉体が「わたし」、そして、目の前にいる人も「わたし」だとしてみよう。
例えば、恋人。
これまで自分の肉体が「わたし」だと認識していたとすると、恋人は自分とは別の「あなた」という存在。
わたし、あなた、という関係性で、ここには分離感があり、フラれたらどうしようとか、いなくなったらどうしようとか、他の誰かにとられないかしら、とか様々な恐怖がある。
しかし、恋人も「わたし」だと認識したらどうだろうか?
恋人の考えていること、苦悩、経験、喜び など、恋人の全てが「わたし」に起きていることだと認識する。
そうすると、そこには、わたし、あなた、という分離がない。
もちろん物理的には別々のものだよ。
でも、心には分離感がないんだ。
恋人の全ても「わたし」だと認識していくと、わたし、あなたではなく、「われわれ」という認識に変わる。
恋人に起きていることは、自分と恋人「われわれ」に起きていることになる。
これは「わたし」に起きていることでもあるんと分かる。
この「われわれ」という認識になれば、恋人のことは全て自分事となるんだ。
これまで自分の肉体こそが「わたし」だと認識していたものが、自分も恋人も「わたし」だと認識された。
これをドンドンと四方八方に物理的に、時間的に遠くへより遠くへ広げていく。
日本の裏側にあるブラジルにいる人も「わたし」だと認識してみる。
人間だけでなく、ペットも植物も、岩や川も「わたし」だと認識してみる。
国も文化も世界も宇宙だと認識してみる。
そうするとさ「われわれ」の認識がドンドンと広がっていって、全てが自分事になるんだよね。
そして、全てが「わたし」。
肉体を超えた、大きな大きな「わたし」。
このことを僕は、
「わたし」の意識の範囲を飛ばす
って表現しているのよ。
人によっては、『飛ばす』というより質問者のように『広げる』の方が伝わるかもしれないね。
で『捉える』っていうのは認識するっていうこと。
自分の肉体だけでなく、目の前の人や、地球の裏側の人も「わたし」だと認識すること。
そうすると全てが自分事になる。
全てが「わたし」だからね。
そうするとさ、目の前の人が苦しんでいたりするのは、自分が幸せじゃないから、目の前の人に何かをしようとする。
端から見るとこれは他人への「思いやり」と見えるかもしれない。
だけど、本人からしたら目の前の人も「わたし」だから、「わたし」のためにただやっているだけなのよね。
というのが僕の回答ね。
付け加えることがあるとすれば、この辺りは体感してもらうのが一番で、理屈で理解しようとしても難しいかなって思う。
なので、目の前にいる人を「わたし」だと認識してみることからスタートすると良いんじゃないかな?
ビジネスであればスタッフとかお客様とかね。
その人たちを「わたし」だと認識してみる。
そうするといろんなものが見えてきて、色んな事に気が付いて、ある時、シンクロしてる感覚になるのよね。
まずは、そこからスタートして、体験してみるといいかなって思う。
また、ご質問があればいつでもどうぞ^^