旅人、新世界をつくる

旅をしながら新世界をつくっている人の日常

コントロールを手放すと『学び』への自主性が育まれる

もうかれこれ10年以上、僕はセミナー業界にいる。

国内外でセミナー運営に関わり、2万人以上の参加者をサポートしてきたんだけど、ずっと疑問に思っていたのは、

セミナーに参加しても実践する人が圧倒的に少ない

ってこと。

何かを変えるためにさ、お金と時間を使ってセミナーに参加しているのに、実践せずに知識を増やしただけで終わるって人がすごく多いってことに気が付いたのよ。

 

僕にもそういった面があって、実践するときもあれば全く実践しないときもあって、実践したけどすぐにやめてしまったこともある。

だからさ、セミナー参加前に思い抱いていた結果に全然辿り着いていないのよ。

でさ、同じようなセミナーにまた参加しちゃったりしていたのよね。

どんどんとお金が無くなっていって、気が付いたら『セミナー依存症』になっていたんだよね。

 

こうした事って、僕だけでなく僕の周りにもいて、セミナー講師仲間と話していると、

「受講生が学んだことを実践しないんだよね」

みたいな話がよく出てくる。

それくらいセミナーに参加して実践しない人が多いってことなんだと思うんだけど、不思議なのは、

どうしてセミナー後に実践しない人が多いのか?

ってこと。

実践する人もいれば、実践しない人もいる。

この違いはどこにあるのか?

その違いと解決策を知りたくて、研究をはじめたのよ。

そうするとさ、セミナー後に実践しない原因は、講師側と参加者側の両方にあることが分かった。

 

セミナーに参加したけど結果が出ない。

これに対しての講師の言い分は、

「参加者がやる気がなくて、行動しないんだよね」

で、参加者側の言い分は、

「話が分かりにくいし、使いにくい」

他にも言い分があるんだけど、互いが互いに責任転嫁しているんだよね。

これってさ、すごく講師と参加者に分離感があるなぁ、って感じるのよね。

セミナーってさ、講師だけでは成り立たないのよ。

参加者もいて、はじめて成り立つのよ。

そこにはさ、スタッフもいて施設関係者もいて。

みんながチームとして一つになって、セミナーって作り上げるんだよね。

なのに、チームメンバー間に分離感があるんじゃ、そりゃうまくいかないよなぁ、ってことに気が付いたのよ。

 

僕は以前、セミナーをするとき、

「僕が参加者を幸せにする」

「僕のコンテンツで参加者を成功に導く」

なんてことを考えてた。

今思うと、これってすごく傲慢だなって思う。

僕のセミナーに参加してくれた人には、望む結果を出してもらいたい! そんな気持ちがあったんだけどね。

やっぱり傲慢でしたわ。

 

この傲慢さって、分離感を産むのよね。

教える人と教えられる人、導く人と導かれる人、幸せにする人と幸せにされる人、リーダーとフォロワー。

単なる役割ではなく、そんな心の分離感があり、ヒエラルキーを産んじゃうんだよな。

教える人になろうとするから教えてもらいたい人が集まるし、リーダーになろうとするから、リーダーにぶら下がるフォロワーが集まってくる。

そして、集まった人に対して、自分の意図に沿うようにコントロールしちゃうわけ。

参加者が行動するように、実践するように、お金をもっと払うように、講師の意図に参加者が沿うようにコントロールしちゃうわけ。

当然ながら、他人のコントロールなんかできないから、うまくいかない。

ストレスになる。

反発や批判が起きる。

ストレスになる。

分離感は広がる。

悪評が広まる。

なんかそんなことが起きている感じなのよね。

 

そんなことを感じてから、僕はコントロールをすることをやめた。

セミナー参加者を自分の意図に沿うように仕向けようとかするのをやめた。

僕が何とかする、という気持ちでセミナーをするのをやめた。

課題や宿題を出すのをやめた。

3か月で成果を出させるとか、期間限定の講座をやめた。

カリキュラムに沿って教えるのをやめた。

バックエンドセールスをやめた。

自分一人でセミナーを作ることをやめた。

参加者の意思決定をジャッジすることはやめた。

 

その代わりに、

セミナーは参加者と一緒につくることにした。

参加者自身のペースで成長できるようにオンラインサロンにした。

Web上に課題は置いてあるが、やるやらないは自由。

勉強会もオンラインセミナーも参加するしないは自由。

悩み事や相談事は、みんなで一緒に考える。

実践するもしないも自由。

参加者の意思決定はオールOK!

 

僕がやっているのは、参加者が安心して自由に行動できる環境づくりだけ。

例えるなら、公園を僕がつくって、そこで自由に参加者が遊ぶ。

そんな感じにセミナーを作り替えた。

コントロールを手放し、分離感を無くしていった。

そこで何をするのか、どんな関わり方をするのか、その範囲、スピード、深さ、全てを参加者の判断に委ねた。

だから基本的には何もしない。

ほぼ放置プレーだ。

そんな状態にセミナーを切り替えた。

すると、面白いことが起きてきた。

自分の意志で課題に取り組む人が増えてきた。

学んだことを実践する人が増えてきた。

勉強会を自主開催する人が増えてきたんだ。

 

僕は、課題をやれとは一言も言っていない。

僕が伝えるのは、こんなワークが置いてあるよ、とだけ。

しかし、参加者は自分で課題をやることの重要さに気が付き、自分の意志で取り組む。

もちろん全ての人ではない。

しかし、参加者同士が影響を与え合い、感化され、行動していく。

そんな状態になっていった。

こんな様子を間近で見ていると、セミナーにはコントロールは不要だなって感じる。

参加者に成果を出してもらいたい、その気持ちは大切にしたい。

でも、そうなるように仕向けると、色々と堅苦しいよなぁ。

参加者は、講師がコントロールしなくても、自分の意志で行動するようになるからね。

もちろん、行動し始める時期やそのスピードは違う。

でも、それは参加者が自分で決めたことだから、それは尊重し、その意思決定に敬意を示すだけで良いんじゃないかなって。

講師の考えるスピード感や進捗状況にあっていないからと言って、コントロールする必要は無いし、それをするのは相手の意思を無視した傲慢な態度だな、って僕は思うんだ。

 

これはセミナーだけでなく、子どもへの教育にも感じることなんだけど、コントロールをやめるってことが『学び』への自主性を育むような感じがするね。

環境だけ用意して、あとは本人に委ねる。

それだけで良いような気が僕はしているんだ。