旅人、新世界をつくる

旅をしながら新世界をつくっている人の日常

環境だけでは意味がない!僕のつくりたい図書館は利用されてこそ世界が変わる!

そうだ、図書館を創ろう!

バンクーバーでそんなインスピレーションが下りてから、2年が経過した。

なかなか実行に移せていないのが現状。

っていうのも、図書館って言っても現在ある図書館を創っても、僕としては意味がない。

意味がないというか、既にそうした活動をされている方々がいるので、同じことを僕がする必要がない。

そもそも、僕が造りたいのは、バンクーバー市立図書館のインスピレーションラボのような『創る図書館』。

blog.kurosakihideomi.com

だから、本が置いてあるので読みに来てね、という本の貯蔵庫ではないんだよなぁ。

だからといって、ディスカッションや会議が自由にできたり、レコーディングができたりするラボの機能だけがあれば良いかっていうと、そういうわけでもない。

そこにはやっぱり本があって、1冊の本の内容に対して自由にディスカッションしたり、自分の夢に繋がる1冊の本がそこにあって、わからないことをその場にいる詳しい人に教えてもらったり。

そうすると、やっぱり図書館なんだよな。

 

バンクーバーから日本へもどる飛行機の中で、色々と構想を考えてみたんだけど、その中で一つ浮かんできたのは、教育機関としての図書館。

図書館、図書室っていうと、学校の中にあったりするじゃない?

そうではなく、図書館の中に学校があった方が良いな、って思ったのよ。

学校という決められたカリキュラムをこなし、その補助のために図書館を利用するのではなく、自分がやりたいことをするために図書館があり、その専門性を高めるためにカリキュラムがある。

そのカリキュラムは、文部科学省が決めるのではなくて、その道にプロフェッショナルが造る。

テストで100点を取るための勉強ではなくて、人生を豊かにするための勉強をすることができるし、学年は関係ないから、興味があればどんどんとその専門性を高めることができる。

テストもないし、進学もない。

お受験や学歴からくるヒエラルキー、ハラスメントがない。

別に学校を否定しているわけではないので、そっちが良い人はそっちに行けばいいし、学校がなじまない人は図書館にきて、自分の興味のある方向にただただ突き進めばいい。

そんなことを飛行機の中で考えてた。

 

じゃぁ、これを実際に作るってなった時、しかも、子どもが安全に学べる世界に繋がるか? ってことを考えると、まだまだ何かが足りない感じがしたのよね。

というのもさ、図書館という環境だけをつくっても、意味がないのよ。

実際に利用されないと、何も変わらないのよ。

日本では利用されるかもしれない。

アメリカでは利用されるかもしれない。

先進国では利用されるかもしれない。

でもね、カンボジアではどうだろう?

インドでは?

アフリカでは?

生活のために子どもの文房具を売ってしまう、そのような国でこの図書館が利用されるだろうか?

多分、利用されない。

まずは、大人の意識改革が必要なんだよね。

そうした時に、単に子どもの教育機関としての機能だけでは、不十分な感じがしたのよ。

 

つまるところさ、お金なのよ。

お金がないから、子どもが働かなくちゃいけない状態になってるのよ。

日本でも、お金がないから子どもに十分な教育をさせてあげられないとかになってるのよ。

そうするとさ、ここを解決していく必要があるなって思うのさ。

例えばね、子どもが図書館にいって勉強するたびに、お金を持って帰ってきたらどう?

お金じゃなくても良いや、食べ物とか水とか医療品とか、欲しいものを持って帰ってきたら?

無料で勉強ができて、それでその場でほしいものが得られて帰ってくる。

子どもが成長して幸せになるだけでなく、その周りにいる家族や友人も幸せになる。

図書館がそんな場所だったらどうだろうか?

多分だけど、利用する人は増えるんじゃないかなって思うんだ。

 

でも、これが生活のために図書館に来てます、みたいになると意味がなくて。

子どもたちが自分の夢に向かって勉強している、って前提が必要だと思うんだよね。

ただ、その結果が出るまでのスピードは早められると思っているので、そこも踏まえて考えていきたいなぁって感じ。

 

その方法については、構想中なんだけど、もうそろそろまとまってきそう。

だと思うんだけど、また考え直しになるかも。

まぁ、こんな感じで2年が過ぎたよって話。

まだまだ、これからだ。