旅人、新世界をつくる

旅をしながら新世界をつくっている人の日常

ミッションが見えない?もうすでにミッションに生きてるから大丈夫!

「自分のミッションが見えない……」

数年前の僕は、ミッションが見えないことで生きづらさを覚え、悩んでいた時期があった。

バンドやってた時とか、内装の仕事をしていた時には、ミッションとか考えたことは無かった。

天からどんなミッションを与えられて生まれてきたのか?

みたいなことに興味はあったけど、別に分からなくても困らなかったし、悩むこともなかった。

でもね、自己啓発系のセミナーに行くようになってから、ミッションは見えてないと人生がうまくいかないように感じてきたのよね。

人生がうまくいかないのは、ミッションが見えていないからだ、みたいなことを感じちゃってたのよ。

で、ミッションをなんとか見つけようとするんだけど、なかなかシックリこない。

表面的にはカッコよさげなミッションが出てきて、周りのセミナー参加者に

「あ~、それ良いですね~、流石です!」

みたいにおだてられる。

本心は「これは自分のミッションじゃない」って思ってるのに、表面的なミッション掲げちゃったものだから、それをやらないと自分の価値が下がるような気がして、とりあえずそのミッションに生きてみるなんてことをしてた。

当然ながら、長続きしない。

もっと軸のある生き方をしたいと思って、ミッションを探すが見つからない。

ミッション探しに執着して、それがないと自由に行動ができない気がして、生きることがつらくなっていった。

 

僕のメンターであるピーター・セージは、ミッションに関してミツバチの話をしてくれた。

youtu.be

ミツバチは、自分のミッションを知らない。日々、蜜を集めているだけ。でもそれが、花を受粉させるというミッションに沿って生きている。

ミッションを見つけられる人もいるし、見つけられない人もいる。しかし、それが本当にミッションなのかどうかは確認のしようがない。

人はミッションに見守られているから大丈夫!

 と、そんなことを教えてくれたんだけど、正直、ピンとこなかった。

大切なことを教えてもらっているというのは分かったんだけど、よくわからなかったのよね。

行動しよう、といっても、何を行動していいのか分からなかったのよ。

でも何かしようと思って、とりあえずミッション探しをやめてみた。

 

ミッション探しをやめたら日々の生活の束縛感がなくなって、だいぶ生きやすくなってきたんだけど、自分のミッションは気になったまま。

なにか心に引っ掛かっていたのよ。

で、ふと思ったのが、

そもそもミッションってなんだ?

ってこと。

ミッションとは何かが分からなければ、見つけようがないなって思ったのよ。

そこでまずは、missionを調べてみた。

すると、

mission : 使命、任務、役目、天職、(一生の)使命、使節団、派遣団、在外大使館、特命、特命飛行

ejje.weblio.jp

 当然ながら、使命ってのが出てきたね。

その時の僕は使命の「使」ってところにカギがあるって、不意に感じたのよ。

これは、『使わす』なのか? それとも、『使う』ってことなのか?

missionの語源:mittereには、『送る、つかわす』って意味があるから、命を使わすってことなのか?

みたいなことを考えていったんだけど、深く考えたら混乱してめんどくさくなった。

いったん考えるのをやめてみた。

したら、こんなことが頭に浮かんだ。

 

ミッションが命を使うことだとしたら、命を使ってやっていること全てがミッションなんじゃないか?

 

命を使ってやっていること全てがミッション。

呼吸をしても、歩いても、ラーメンをすすっても、屁をこいても、全てがミッションじゃないか。

既に俺は、ミッションに生きているじゃないか!

って、そう思ったんだよね。

おまけに、自分の命の使い方は自分で決められるなぁ、って。

自分の命を他人を貶めることに使うこともできるし、他人に感謝することに使うこともできる。

自分が与えられた命をどう使うかは完全に自由で、自分が選択できるもので、誰かに命令されてやることじゃないなって。

そこに気が付いたとき、僕がミッションが見えずにいた原因が分かった。

自分の命をどう使いたいかが分からなかったんだ。

それまでの命の使い方だと自分の望む生き方ではない。

だからと言って、自分の望む生き方が分かっているわけでもない。

その状態を「ミッション」という言葉で見えにくくさせてしまってたんだな、って。

 

でも、ここで1つ疑問がある。

自分のやりたいことをやっていたら、誰かの役に立つのだろうか?

ミツバチは蜜を運んでいるだけで、花の受粉に大きく貢献している。

人間にも同じことが言えるのだろうか?

例えば、僕は旅が好きだ。

旅をすることに命を使っていたら、誰かの役に立つのだろうか?

ってことだ。

 

これに関しての答えは、影響の輪にあった。

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影響力というのは、図のように自分からスタートし、外側に向かって広がっていく。

自分が何かをすれば、必ず身近な家族や友人、恋人、顧客などに何らかの影響を与え、その規模が大きくなり、会社や地域、コミュニティに広がる。

やがて、国中に広がり、世界に広がっていくんだ。

だからさ、自分のためにやっていることは、自然と誰かのためになっているってこと。

 

僕は、自転車で日本一周をしたけど、これは完全に自分のためにやったこと。

だけどね、その様子をみてくれた人から、

「勇気をもらいました」

「僕も何かチャレンジしたくなりました」

「元気をもらってます」

みたいな言葉を何人も頂いたのよ。

僕はただ、自分の命の使い方を決めて行動しただけ。

だけど、それによって誰かの役に立つことはできた。

ミツバチのように花を受粉しているなんてことに気づいていない。

だけど、結果としてそうなっているのよね。

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ミッション。

あれこれと考えたけど、あれこれと悩んだけど、結局のところ、自分の命の使い方なんだから自分で自由に決めたら良い。

なんだったら決めなくてもいいかな。

だって、生きているだけでミッションに生きてるんだから。

生きている以上、みんな、ミッションに生きてるんだから。

死んだ人はみんな、ミッションに生きた素晴らしい人たちだから。

もし、今の生き方がしっくりこないのであれば、しっくりくる命の使い方をすればいい。

自分が楽しめる命の使い方をすればいい。

周りの声を気にせず、好きなように命を使ったらいい。

ミッションを掲げたければ、掲げればいい。

宣言したければ、宣言すればいい。

『世界中の美女1000人とヤリまくるぜ!』

みたいなことでも良いじゃん。

もちろん、否定する人もいるけど、その姿勢、その勇気に賛同する人も必ずいるからね。

ミッションとか難しく考えず、自分の命、楽しく使っていったらいい。

僕は、そう思うんだ。