旅人、新世界をつくる

旅をしながら新世界をつくっている人の日常

僕の「めんどくさい!」の性分を探ったら両親との関係性にぶち当たった

僕は、めんどくさがり屋だ。

めんどくさいことは自分でしたくないし、できることなら人にやってもらいたい。

自分が手をかけずに、物事が片付く。

そんな素敵な状態に憧れる。

セミナー講師なんかやっていると、

「めんどくさいとか言っちゃいけないなぁ」

なんて思ったりする。

だから、できる限り口に出さないようにしているのだが、気持ちはめんどくさいって思ってる。

 

めんどくさいって一度思っちゃうと、なかなか脱出できない。

「まぁ、明日でいいっか」

と実行を先延ばしにしてしまう。

やりたくないことであれば、めんどくさい気持ちが湧いてきて、先延ばしにするってのも分かる。

しかしだ。

最近は、自分の好きなことも先延ばしにするようになってきてしまった。

例えば、セミナーコンテンツを作ったりすること。

以前であれば、一日中、没頭できた。

しかし、今では取り掛かっても途中でめんどくさくなってしまう

嫌いになったのか?

いや、そうではないみたいだ。

飽きてしまったのか?

そうでもない。

では、いったい何が僕をめんどくさがらせているのだろう?

何が、僕がめんどくさがり屋だという現実を創り出しているのだろうか?

 

ということで、自分と向き合った。

ここで見ていくのは、僕がめんどくさがり屋でいることで守っているものは何か? ということ。

僕は、いったい何を守るためにめんどくさがり屋でいるのだろうか?

そんなことを見つめ始めた。

 

まず、ふと思い浮かんだのは、役立たずの自分だ。

めんどくさがって何もしない、全くの役立たずの自分だとしたら、自分は生きられないんじゃないか、と思った。

しかし、それは本当か? と自分に問うと、答えはNo。

自分が何もできなくても、生きられるって思ったんだ。

で、ここを突っ込んでみた。

どうして、自分が何もできなくても、自分は生きられると思っているのか?

すると、両親のことが思い浮かんだ。

両親は、僕を生かしてくれていたんだ。

何もできない赤ちゃんの僕に、衣食住を与え、それをずっとし続けてくれていた。

両親のおかげで、自分が何もできなくても、自分は生きてこられたんだ。

 

ここで、ふと感じたことがある。

親というのは、子どもがいて初めて親であると。

赤ちゃんが生まれて親になるのではないかと。

ここで、疑問が出てきた。

生まれたての赤ちゃんが一人で何でもできたら、親は親としての役割を果たせるのだろうか? と。

赤ちゃんが自分一人では肉体の維持ができないからこそ、親は親としての役割を担い、経験ができるんじゃないか?

肉体の維持ができないことで、親は子育てができるんじゃないか?

そんなことを思い始めたんだよね。

そうすると、僕が肉体の維持ができないことで、両親が子育てできる機会が生まれたということになる。

裏を返すと、僕が肉体の維持ができてしまうと、両親が子育てができなくなる、親が親でなくなる。

そんな思い込みが僕の中にあるんだってことに気づいたんだ。

つまり、僕の命を守ることで両親は親でいられるって、僕は思ってたというわけ。

と同時に、両親は、僕の命を守ることが役割で、自分の代わりになんでもやってくれる、って思ってたみたい。

結局さ、めんどくさがって困った状態になるというのは、親からの愛とつながりを求めていたんだ。

 

そういえば、僕は小学生にあがる前は、かなり病弱だった。

常に風邪をひき、保育園に行った記憶や、外で遊んだ記憶はほとんどない。

いつも布団で寝ていた記憶ばかりだ。

両親は共働きだったので、いつも一人だった。

当時を振り返って思いだすのは、いつも両親がケンカをしていたこと。

父親の会社がうまくいかず、お金のことでケンカをしていたみたいだ。

恐らく子どもの僕は、両親の間を取り持つために病弱を演じていたのかもしれないなぁ、って感じている。

子は鎹 というが、その役割を担ってたような感覚があるんだ。

で、めんどくさがり屋という僕の性分は、鎹の役割をずっとし続けていたんだなぁ、ってことが分かったんだ。

命が危ぶまれることで両親と繋がる。

何もできない自分でいることで両親と繋がる。

困ったことが起きることで両親と繋がる。

そんなリレーションシップを両親と取っていたことに気が付いたんだ。

 

僕は、困りごとで親と繋がろうとしていたんだ。

だから、困りごとが起こるようにめんどくさがって、物事を先延ばしにしたり、放ったらかしにしたりして、実際に困りごとを作り出してた。

うん、僕の求めているのは、両親とのつながりだ。

だけど、困りごとで親と繋がるというリレーションシップは、僕は望まない。

困りごとではなく、喜びごとで両親と繋がりたい。

自分は幸せに生きているだとか、新しい家族ができただとか、仕事が順調だとか、本当にやりたいことやってるとか、そんな喜びごとで両親と繋がることにしようと思う。

 

僕は、このブログで新世界をつくることについて書いている。

しかし、最近、熱が冷めてきたな、って感じてた。

ブログを立ち上げたときの情熱がなくなってたんだ。

ブログ更新もめんどうだった。

やる気が起きなかった。

でも、その原因が分かった。

両親とのつながりのために、めんどくさがり屋を発揮してたんだ。

困りごとで両親と繋がろうとしてたんだ。

僕は、これ以上、そんな両親とのリレーションシップを望まない。

これからは、喜びで両親と繋がることにする。

だから、めんどくさがり屋は卒業。

これからは、喜ばせ屋になろうと思う。

うん、これから新世界にむけて再始動だ。

 

とぉーーーー!!

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