旅人、新世界をつくる

旅をしながら新世界をつくっている人の日常

新世界の学び場は、全ての人が全ての人を教えあえる場所にしたい

僕が小学生、中学生の時の話なんだけどね。

僕は親戚のおじさん夫婦に、しょっちゅう山登りやスキーに連れて行ってもらってたんだ。

このおじさんというのが、高校の物理の教師でね、僕が子供のころは校長先生だったんだけど、その昔は高校の登山部の顧問だったのよ。

だから僕がおじさんと行く登山には、おじさんが顧問をしていた登山部の生徒さんたちもOBとして一緒。

しかも、そのOBたちの子どもたちは、僕と同じくらいの年齢だったから、いつも登山が楽しかったんだ。

 

長野県の白馬には、おじさんが顧問をしていた高校の山荘があり、毎年の夏休みには、登山部のOBたちが家族連れで集まる。

大人子どもあわせて3,40人くらいいたかな。

山荘に集まり、そこから八方尾根をみんなで登る。

第一ケルンまでは確かリフト、そこから第2ケルン、そして、八方池まで歩く。

当時は、八方池のあたりには真夏でも雪が残っているところがあってね。

スキーの得意なOBがそこらに落ちてる枯れ木を拾って、簡易スキー板を創って、真夏のスキーを楽しんでた。

 

下山して山荘に戻ると、大人たちはお酒を飲んでどんちゃん騒ぎ。

子どもたちは色んな遊びを考えて、暴れまくる。

そして、度が過ぎて、どこの誰だかわからない大人に怒られる。

山荘には、クラシックギターが置いてあって、ギターを教えてくれる人がいたり、天体望遠鏡とかもあって、星について詳しく教えてくれる人もいた。

翌朝、早朝に散歩に連れて行ってくれる人がいて、体操を教えてくれたり、掃除のときには寝袋の畳み方や空き缶のつぶし方なんかを教えてくれる人がいたんだよね。

子どもの僕たちには、そのすべてが新鮮で毎日が本当に楽しかったんだ。

 

今思うとね、僕はいろいろな大人に色々なことを教わったんだよね。

山の歩き方や注意点、花の名前や鳥の名前、山の名前や地理、ストックの持ち方、ゴンドラの乗り方、ケルンって何か、どうして山ではポテトチップの袋が膨らむのか、などなど、山に関するだけでも色々なことを教わったんだよね。

しかも、それぞれの大人が好きな分野、得意な分野で話してくれるから、説明が分かりやすかったし、覚えやすかった。

深く学べた気がするし、もっと知りたくなる好奇心を掻き立てられたんだよね。

これらのことを自分の両親、学校の先生だけの知識で教えようとすると、偏りがあったり、教え方にムラが出るなって思う。

例えば、おじさんからだけに教わろうと思ったら、山のことは深く教えてもらえると思う。

だけどさ、ギターの弾き方については、教わることはできなかった。

山荘には、ギターの弾き方について、ギターの面白さについて深く話せる人がいるのに、おじさんに遠慮したりして教えてもらう機会を失うなんてモッタイナイって思う。

僕はさ、子どもは色々な人に教えてもらったらいいと思う。

というかね、子どもはみんなで育てたら良いと思うんだ。

 

新世界の学び場について僕が思うのは、子どもの教育を親や先生といった特定の人がする必要はないってこと。

子どもがもっと色々な人に色々なことを教わったらいいと思うんだ。

これはね、大人から教わるということではなくて、友達から教わるでもいいし、年下から教わるでもいい。

その分野が好きで詳しい人から学んだらいいと思うんだ。

特定の人だけが子どもを教育する必要はない。

大人全員で子ども全員を教育したらいいと思う。

あなたの子どもの教育は、あなたがやりなさい。

ではなく、

わたしの子どももあなたの子どもも、教育は我々でやりましょう!

という状態がいいなって思うんだ。

『よそはよそ、うちはうち』という分離感ではなく、われわれ意識で作られる学び場がいいな。

 

キャンプに行くとね、その分離感がないんだよね。

友達が子ども連れてきたりするんだけど、子どもはね、いろいろな大人から泳ぎ方とか包丁の使い方とか、肉の焼き方とかいろんなことを教わってる。

しかも、へたくそな人ではなく、得意な人から教わってるからね。

理解も早くて、すぐにできるようになるし、それによって楽しみが増えてく。

クリエイティビティ発揮して、応用きかせたりするしね。

ほんと、成長が早い。

しかも楽しんでる。

そんなことが起きるんだよね。

だからさ、新世界の学び場はさ、大人子ども関係なく、全員が全員を教える。

特定の誰かではなく、様々なことを様々な人に教えてもらう。

そんな場にしたいと思うんだ。