旅人、新世界をつくる

旅をしながら新世界をつくっている人の日常

NARUTOで目覚めた!もう生きることに遠慮しなくって良いんだぜ!

先日、淡路島にあるニジゲンノモリに旅をしてきたのよ。

nijigennomori.com

ここには、NARUTOのアトラクションがあるので、入ってみたのよ。

忍里の門をくぐると

NARUTOの主要キャラがお出迎え。

で、アトラクションってのは、天の巻、地の巻に書いてある謎を読み解くこと。

で、木製の3階建て立体迷路を突き進んでいくのだけど、なかなかに罠がある。

影縛りをくらったり

行き止まりだったり。

時には、励まされたり。

同じところをグルグル回って、汗だくになりながら、大の大人が夢中になってゴールを目指す。

謎が分からないところは、近くのチビッ子に助けてもらう。

なんか、

 

チョー楽しい^^

 

そしてゴールでは、ナルトとサスケがお出迎え。

なんか嬉しい^^

 

少し小腹がすいたので、ナルトの行きつけのラーメン屋『一楽』でラーメンを食べる。

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うん、量も味も良い感じだ。

 

なんか楽しい^^

 

その後もアトラクション内を巡り、ペインとか、

マンダとか

クマラとか

それはそれは、NARUTOの世界をドップリと楽しんだわけ。

僕、今年で44歳。

アトラクションには、10歳くらいのチビッ子もいるのだけど、彼らに負けず劣らずテンション高めではしゃぎまくってる。

通常であればさ、

「いい大人が何やってんの?」

とか言われちゃいそう。

だけどね、ここでは誰に遠慮することなく、その場を楽しんでたわけよ。

そうしたら、すごい楽しかった。

その時、ふと思ったんだ。

 

「俺、生きることに遠慮してないか?」

 

って。

 

僕はこれまで好き勝手生きてきたなぁ、って思ってたけど、まだまだ遠慮があるなって感じたのよ。

自分を生きることに遠慮なんかいらないのに、周りの顔色見たり、余計な気遣いして、遠慮してたなって。

例えばさ、飲み会でから揚げが出てきて、最後の1個を本当は食べたいのに、誰かに譲っちゃうみたいな。

「最後の1個、食べて良い?」

って遠慮しないで聞けば良いだけなのに、それは大人げないとか考えちゃって、本当は欲しいものを譲っちゃったり。

欲しいものは欲しい。

やりたいことはやりたい。

大人げないとか、そんなこと関係なしに、欲しいものは欲しがったら良いし、やりたいことはやっちゃえば良いんだなって。

 

僕はさ、まだまだ両親に遠慮があったなって感じたのよ。

本当にやりたいことをやってしまうと、欲しいものを欲してしまうと、どこか両親が離れていきそうな感覚があったのよね。

なんかそれをしてしまうと、両親を傷つけるんじゃないかとか、困らせるんじゃないかとか、色々な罪悪感を感じてしまってたんだ。

僕の中には、やりたいことをやってきたアウトロー的な要素もあるんだけど、両親の言うことを聞く良い子ちゃんの要素もあって、なんかそれが現状を足踏みさせてた感があったのよね。

だけど、NARUTOのアトラクションで思いっきり楽しんだときに、

 

「あっ、もう両親に遠慮しなくて良いや」

 

って思ったのよ。

両親の言うことを聞く必要もないし、あえて反発する必要もない。

自分は自分であれば良いなって。

 自分は自分として元気にやってるよ! って元気な姿見せたら良いかなって。

自分のやりたいようにやって良いし、頼りたかったら頼ったら良い。

どんどん遠い場所に離れてしまっても良い。

どんどんお金を受け取っちゃって良いし、どんどん豊かになって良いし、どんどん幸せ感じちゃって良い。

とにかく両親であろうと誰であろうと、遠慮する必要はないんだって。

自分自身にすら遠慮してた感があったけど、それも不要。

もうね、遠慮なく思う存分、自分の人生を生きちゃって良い。

って、感じたんだよね。

 

もう生きることに遠慮はいらない。

ようやく自分の人生を生きることに最終的な許可が出せた感じがする。

童心にかえってNARUTOを楽しんでたら、思いがけず、そんなことになったのよ。

大人だからって、周りに遠慮する理由はどこにもないよね。

思いっきり楽しんだら良い。

洋服を泥だらけにして、笑いあったらいい。

思いっきりスッ転んで膝すりむいて、泣きべそかいたらいい。

さて、思う存分、自分の人生を生きようっと。