旅人、新世界をつくる

旅をしながら新世界をつくっている人の日常

僕は生き延びたいんじゃない!生きたいんだ!

過去の僕を振り返ってみてわかることは、僕は生き延びるために一生懸命だったんだな、ってこと。

自分の肉体が滅びないように、食事をし、睡眠をとる。

そして、それが出来るように仕事をして、お金をいただく。

あまりやりたくない仕事でも、お金のためと割り切る。

なぜなら、お金が入ってこないと、ご飯が食べられなくて、生き延びることができないから。

完全に意識が生き延びることに向いていたな、って感じるんだよね。

 

自分では、生きている、って思ってた。

だけどね、実際にやっていたことは、生き延びるための活動。

生き延びることに意識が向いているから、お金が無くなるのが怖い。

食べれなかったらどうしようって不安が押し寄せる。

だから、大きなチャレンジができない。

本当はやりたいことがあるのに、それが出来ない。

それをやってしまうと、お金が無くなり、食べれなくなり、生き延びることが出来ないって不安に駆られるから。

やりたいことがあるのに、不安で出来ない。

生き延びられる保証がないと、新しいことにチャレンジができない。

出来たとしても、今の生活、今の収入で収まることばかりで、バイクの免許を取るとか、温泉に行くとか、スノボをやるとか。

それはそれで楽しかった。

だけどね、前提として『生き延びること』が意識にあるから、それ以上のことができなくて、海外旅行に行くなんてできなかったなぁ。

 

生き延びることに意識を置くってのはさ、いつもサバイバルモードなのよ。

だから、いつも不安。

いつお金が無くなるのか、いつ食べられなくなるのか、いつ死ぬのか、そんな不安がずっとあって気が休まるときがない。

お金を使う時も躊躇がある。

楽しくお金が使えない。

「だって、これしかお金ないんだよ。

ここで使っちゃったら、ご飯食べれないかもしれないじゃん。

生活できないかもしれないじゃん」

そんな思いが支払いの時に頭をかすめる。

子どものときは、そんなことは感じなかった。

お菓子でもプラモデルでも、買いたいものを買うときには、お金を支払うことに躊躇がなかった。

お金を使うことが楽しかったし、買い物が楽しかった。

だけど、大人になるにつれ、お金を使うことが怖くなってきたんだ。

 

その根底には、子どものときのような『生存』の保証がなくなって、生き延びるための行動をするようになっていったからではないかな。

この辺りは人それぞれかもしれないけど、まぁとにかく、僕は生き延びることに意識をむけ、お金に縛られた生き方をしていたってこと。

 

僕は、あるとき、

人生を生き延びるのではなく、人生を生きよう!

と決めた。

生き延びるのではなく、生きたい!

そう思ったんだ。

それから、お金を失っても、人に嫌われても、それでもやりたいこと、魂が望む本当にやりたいことを考えた。

そこで見つけた答えが、旅とセミナー。

最終的に、旅を軸にして生きると決めた。

それが2年前。

それから毎月1,2回は旅行なりキャンプなりをしている。

お金ができたらやろう、時間ができたらやろうとしていたことが、できてきた。

生き方に合わせて、お金と時間が入ってきた。

生き延びることをやめ、生きることを決めてから、自分の心から望む生き方にドンドン近づいて行ったんだ。

まるで宇宙から応援されているかのような気分。

理解が追い付かずに混乱するときもあるが、確かに状況は変わっていく。

そんな実感があるんだ。

 

僕は、お金に縛られた生き方をしていた。

お金によって生き延びようとしていた。

今でも以前の習慣で、サバイバルモードになってしまう時がある。

しかし、僕が感じているのは、生き延びることを考えなくても、自分を生きていれば勝手に生き延びてる、ってこと。

 だから、生き延びることを考えなくて大丈夫。

自分を生きていれば、周りが生かせてくれるから!

周りが放っておかないし、宇宙が放っておかない!

生き延びるために、あれこれとコントロールする必要はどこにもない。

我慢する必要もない。

ただただ自分を生きればいい。

僕は、そう思うんだよね。

 

生き延びるのも生きるのも、自由に選択ができる。

サバイバルモードで生きるのか、無双モードで生きるのか。

あとは個人の選択。

僕はやっぱり生き延びる人生はまっぴらごめんだ。

僕は、僕の人生を生きたい。

僕は、生き延びるのではなく生きたい!

だからこれからも、生きていこうとおもう。

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