旅人、新世界をつくる

旅をしながら新世界をつくっている人の日常

どうして圧倒的に不便なキャンプ場で『足りない』恐怖を感じないのか?

キャンプとは面白いもので、人生に大切なことをいろいろと教えてくれる。

この前ふと思ったのだが、キャンプをしているときには、不足を感じないんだよね。

日々生きてるとさ、お金が足りない、時間が足りない、自信が足りない などなど、それはそれは、色々なものが足りないって感じてくる。

なのにさキャンプでは、何かが足りない、ってことを感じないんだよね。

食料が足りないかな~、とかは思ったりするんだけど、それが不安や恐怖にはならないんだよね。

無ければ無いでいっか~、って感じで軽く受け流す状況なのよ。

不足による恐怖って本当にないんだよなぁ。

 

キャンプってさ、日常と比べたら圧倒的に不便なんだよね。

ガスは通ってないし、電気も基本的に自前。

水道はあるけど、真冬でもお湯が出ないところがほとんど。

お風呂もないところは多いし、トイレも水洗じゃなかったりする。

虫はそこら中にいるし、料理に砂とかが入ったりもする。

冷蔵庫は無いし、洗濯機もない。

エアコンも扇風機もない。

電子レンジもないし、場所によってはスマホも使い物にならない。

日常と比べて、圧倒的に不便。

にも拘わらず、不足が恐怖ではないんだよね。

それどころか、こうした不足や不便を楽しむのがキャンプで、みんなそれを楽しみに来ているんだよね。

キャンプはさ、『無い』ということが全てOKになる場所なんだ。

 

これは前から感じていたことなんだけど、キャンプって笑いが絶えないなって。

料理を失敗しても笑ってるし、川に落ちてずぶ濡れになっても笑ってる。

調味料を忘れたとか、ランタンのガスが入って無いとか、「あらら~」って感じで笑って終わり。

他のあるもので何とかなるでしょ、って笑って終わり。

普段は子どもが服を泥だらけにしたりするのを叱るお母さんも、キャンプは別。

それどころか、お母さんが川に飛び込んで、メイクもぐちゃぐちゃになって、みんなで笑ってる。

キャンプって、全てがOKで許し合える場所だなって僕は感じてるんだよね。

でもさ、これが日常にかえると些細なことでイライラしたりしちゃうんだよね。

ちょっと調味料を買い忘れたからって、そんなに怒るか? って感じの人もいる。

あれも足りない、これも足りない、って足りないことに意識を向けて、足りないことに不安と恐怖を感じ、ストレスを感じてしまうんだよな。

キャンプではあんなに足りないことを楽しんでいたのに、日常では足りないことに苦しんでいる。

これって、不思議だよね。

 

圧倒的に不便なキャンプ場では不足を楽しめるのに、圧倒的に便利な日常生活では不足を楽しむことができない。

この原因を考えてみて、1つの答えを出してみた。

どれだけ自分のいる世界の外側を知っているか?

ここが原因ではないかと、僕は考えたんだよね。

つまりさ、キャンプに来る人は、普段は電気もガスも水道も自由に使えて、エアコンもスマホもある環境にいる。

つまり、キャンプ場という世界の外側の世界を知っているってこと。

キャンプ場の外側の世界には何でも揃ってて自由に持ってくることができる、って知っているから、不足を楽しめるって思うんだよね。

これってさ、安心感なのよ。

キャンプ場には確かに足りないものが多いけど、その外側にはモノが沢山溢れていて、しかもそれを自分は自由に持ってこれることを知っている。

この安心感があるからこそ、不足を楽しめることができるんじゃないかって思うんだ。

 

一方の日常生活。

ここで不足を楽しむどころか、苦しんでいる原因は、同じように日常生活の外側の世界を知らないからだなって。

今現在、自分が認識している世界。

その外側の世界を知らないから、今の世界を楽しめないんじゃないかなって思うんだよね。

これってね、自分の住む地域、国といった空間の外側ってのもあるし、歴史や伝統といった時間の外側ってのもある。

それを超えて、物質世界の外側にある世界、精神世界ってのもある。

実際に物質世界の外側に精神世界があるのかどうかはわからんけど、自分が生きている物質世界の外側を知るってことは、この物質世界を楽しめるようになる入り口になるなぁ、って思うんだよね。

 

引寄せとか宇宙法則といったスピ系の本にはさ、

「わたしたちは全てを持っています。だから、必要な時に取り出せばいいんです」

とか書いてあるじゃない?

これってさ、日常生活にいる僕たちが圧倒的不便なキャンプを楽しむってことに似てるなって思うのよ。

つまりさ、自分のいる外側の世界を知り、自分は既に持っていて、自由に取り出せることを知っている。

それがこの物質世界を楽しむヒントだなって。

そして、この生き方が新世界の生き方だなって。

そんなことを焚き火をしながら感じた。

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