滝行体験!全てを受け入れると苦痛から解放される
この前、神との対話読書会でね、
「僕、遠慮した生き方してたわ~」
ってのをシェアしたのよ。
遠慮した人生をやめて、思う存分、自分を生きてくことにした!
遠慮しないで、ドンドンと人を頼るし、お金もガシガシありがたく受け取るぜ!
受け取り拒否はしない。
どんどん受け取るぜ!
ってことを話したのよ。
するとさ、参加者の一人から、
「僕、昔は、病原菌以外はすべて受け取るって決めて生きてたんだけど、最近できてないなぁ」
って。
この考え、面白いなぁ。
病原菌以外はすべて受け取る。
いやぁ、面白い。
でもね、ふと思ったのよ。
病原菌を悪だと思ってないか?
病気も全て自分の人生に必要なプロセスだとしたら、全て受け取っちゃってよくない?
そもそも、病原菌に善悪がある?
病気になったという出来事があるだけで、それを善とするか悪とするかは自分次第だよね?
病原菌を悪として、反発する必要もなくない?
とりあえず、病原菌も全て受け取って、病気になったらその時どうするかは考えれば良いんじゃない?
って思ったのよ。
そのように感じたことをみんなにシェアして、あれこれ話したところ、
「とりあえず全部受け取っちまおうぜ!」
ってことになった。
病原菌だろうがなんだろうがとりあえず全部受け取って、起こった結果を全て受け入れて、自分がどうしたいかを考えて行動する。
そんな感じで1週間生きてみようぜ!
ってことになったんだよね。
ここでふと思い出されるのは、滝行。
以前、滝行をしたときに滝と一体化する面白い体験をしたんだ。
僕が何度かお世話になっているのは、東京の御岳山にある宿坊『静山荘』
ここでは、神道の滝行を教えてくれるのだけど、その先生がこんなことを話してくれたのよ。
「滝行はね、我慢するのが目的じゃないんだよ。滝と一体化する。それが滝行の目的なんだよ」
って。
あ~、僕、完全に勘違いしてた。
滝行って、根性試しだって思ってた。
滝の冷たさ、痛みにどれだけ耐えられるかっていう、根性を鍛えるものだと。
どうやら違うらしい。
滝と一体化するのが滝行なんだってさ。
だけどさ、そんなこと言われてもどうやって滝と一体化するのかわからない。
とりあえずご指導いただくままに、神道の祝詞をあげ、魂を両手で卵を包み込むように抱えて、滝に入る。
冷てぇーーー!!
痛ぇーーー!!
ツライィーーー!!
滝の重さと水の冷たさが身体を打つ。
「もうやめてくれ!」
口に出さないけど、その場から逃れることばかり考えている。
とてもじゃないけど、滝と友達になんかなれないよ。
一体化なんて、とてもじゃないけど無理だ。
僕は、滝を受け入れることを拒否したんだ。
滝行は、冷たいし痛い。
滝行は我慢比べじゃないっていうけど、我慢比べになっちゃうよ。
だって、冷たいし、痛いんだもん。
滝に打たれるのが苦痛でしょうがないのよ。
だけど、何度も滝に打たれなきゃいけないのよ。
だって、それをしに来たんだからね。
そこから逃れることができない。
痛くて冷たい滝に自ら入る。
痛いって分かってるのに、冷たいと分かってるのに入る。
何度、滝に打たれても、滝の水温が暖かくなることは無いし、威力が弱まることもない。
滝の状況は一向に変わることはないんだ。
期待しても無駄。
滝は滝であり、その姿を僕の都合に合わせて変わったりはしない。
だからさ、僕はもう諦めたんだ。
諦めたというより、開き直ったと言った方が近いかもしれない。
「もう、滝が痛いのは分かった。冷たいのも分かったよ。それは全て受け入れるから、もう俺の身体を好きにしてくれ」
って思ったんだよね。
滝に反発することなく、滝の全てを受け入れる意識で滝に入ったのよ。
するとさ、これまでと感覚がまるで違うんだ。
滝は相変わらず痛いし、冷たい。
しかし、そこに苦痛が無いんだ。
滝によって、肉体は刺激を受けている。
しかし、それによって心が苦しくなるなんてことが無かったんだ。
しかも、その時の自分は肉体ではなく、魂を包み込んだ掌の中に居るってことを感じたのよ。
これすごく面白い感覚でね、掌の中に自分がいるんだと感じた瞬間に、滝が自分の肉体の中を通り抜けていく感覚があったのよね。
滝と一体化するってこんな感覚かぁ、って初めて分かったんだ。
それまではさ、僕は滝に反発をしていたんだ。
で、滝が変わってくれって思ってた。
だけど、当然ながら滝は変わらない。
僕に起こる出来事は何も変わらないんだ。
だからさ、反発するのをやめ、滝の全てを受け入れることにしたんだ。
そうしたらさ、滝と一体化することができたんだよね。
しかも、自分は自分としていることができているんだ。
これは、本当に面白い体験だった。
あまりに面白くて、褌で気取ってみたぜ!
今回、病原菌も含めてすべて受け取ろうぜ、ってことになったんだけど、それってさ、この現実の全てを受け取ることだなって思うのよ。
普段だったら、反発してしまうようなことも、全て受け入れる。
起きている出来事は出来事として、全て受け入れる。
受け入れた後に、自分としてどうするかを考えればいい。
なんかさ、より自分でいられる気がするんだよね。
滝行はさ、反発したらすごく苦しかった。
多分これは、日常でも同じだと思うのよ。
酸いも甘いもとりあえず全て受け入れちゃう。
なんか、それで良いんじゃないかって。
これってさ、自分の人生の全てを受け入れるってこと。
自分の人生に責任をとるってことだと思うんだよね。
そして、これが自立ってことでもあり、自由ってことだと思う。
全てを受け入れたら、あとは自分の意志で自由に選択ができるからね。
遠慮しない生き方 ってところから、そんなことに気が付いたよ。
さて、これからがどうなるのかが楽しみだ。