旅人、新世界をつくる

旅をしながら新世界をつくっている人の日常

僕たち人間は完全に幸せだからこそ幸せを感じたいと願う

幸せになるためには何かが必要である。

僕たち人間の多くは、こうした考えをもって日々生きてるよね?

だけど、神との対話を読むとさ、これは幻想だということなのよ。

『幸せになるためには何かが必要である』というのが幻想で、真実は『幸せになるために必要なものは何もない』ということらしい。

本を読んでるとさ、そうだよね~、とか思うんだ。

でもそれって頭で理解しようとしただけだから、

「とはいえ、幸せになるためにはお金とか必要なんじゃないの?」

とか考えちゃうんだよね。

つまりは、腑に落ちてないってこと。

 

スピ系の本を読むとさ、

「わたしたちは既に幸せな存在だから、幸せにならなくていい」

とか書いてあって、まぁ頭では納得する。

でもさ、ずっとその考えでやってきたもんだから、そう簡単にその考えが手放せないのよ。

手放せないっていうか、手放すだけの納得のいく材料が揃ってない感じなのよね。

なぜ、わたしたちはすでに幸せな存在だと言えるか?

ここの証明がどうもピンとこない。

ということで、最近は、『幸せになるためには何かが必要である』という幻想が幻想であることを腑に落とそうとあれこれ考えてるんだ。

 

でね、ある時思ったのは、

なぜ人は幸せになりたいのか?

ということ。

幸せになるために何かが必要だ、と思う前に、そもそも『幸せになりたい』と願うから何かが必要だと思うわけだよね。

僕たちは、幸せになりたいと思ってるよね?

幸せを目指してるよね?

幸せ目指して色々と頑張るけど、しくじっちゃたりしてるよね?

幸せにしたいお姫様探したり、幸せにしてくれる白馬の王子を探しちゃったりしてるよね?

僕たちはなぜ、幸せになりたいのだろう?

そんなことを考えていたらさ、こんな疑問が頭をよぎったんだ。

 

『幸せになりたい』と『幸せを感じたい』は違うんじゃないか?

 

つまり、『幸せになる』はBeingで、『幸せを感じる』はFeelingなんじゃないかってこと。

僕たちは、「幸せになりたい、幸せになりたい」って言ってるけど、実は「幸せを感じたい」って思ってるんじゃないか? って思ったんだよね。

そこでね、神の視点になって考えてみたのよ。

僕たち人間は、完全に幸せな存在である。

その視点で考えてみたのよ。

 

もしも僕たちが完全に幸せな存在だとしたら、幸せを感じることができるか?

 

というと、NO!

完全に幸せな存在は、幸せそのものであり、それ以外ではないから幸せを感じることができないんだよね。

自分では、幸せだということは知っている。

だけど、幸せを感じることができるかというと出来ない。

何故なら、幸せ以外が存在しないから。

では、どうしたら幸せになれるか?

というと、自分が幸せであることを忘れ、幸せ以外になる以外にないわけよ。

幸せ以外のポジションについて初めて、幸せを感じることができるんだなって。

 

とまぁ、この辺りは、色々なスピ系の本に書かれてるし、神との対話にもガッツリ書いてある。

「あなたは既に幸せな存在だから、幸せであることを忘れて、幸せを感じようとしてるんですよ」

ってのはよく言われてるけど、僕はこれだと中途半端な理解になってしまったのよね。

というのも、ここで言っていることはさ、

『自分以外があるから、自分を体験できる』

っていうことであって、『わたしたち人間は既に幸せな存在である』という証明にはなっていない気がするんだよね。

というわけで、その先を考えてみたんだ。

 

今、『僕たちは完全に幸せな存在である』という前提で考えてみた。

なので、今度は『僕たちは完全に不幸な存在である』という前提で考えてみたいと思う。

もしも、僕たちが完全に不幸な存在だというのであれば、不幸を感じることは出来ないよね。

だから、自分が不幸であることを忘れ、不幸以外の存在になるしかない。

不幸以外の存在、つまり、幸せな存在、そこそこ幸せな存在になって、不幸を感じたいわけだ。

口癖は、

「あ~、毎日、幸せでしょうがないよ。不幸になりたい!」

「どうやったら不幸になれるんですか?」

そんな毎日を送ることになるわけよ。

 

ん?ちょっと待って?

不幸を目指している人いる?

全力で不幸になろうとしてる人いる?

いないよね?

みんな幸せを目指してるよね?

ということは、どういうことかというと、

 

人間はみんな完全に幸せな存在である!

 

っていうこと。

完全に不幸な存在であれば、不幸を目指すはずなのよ。

だけど、そんな人いない。

自分が不幸になることを魂レベルで望んでいる人、いないのよ。

みんな幸せを目指してるのよ。

ということはさ、完全に幸せな存在なのよ。

僕たちは、完全に幸せな存在なのよ。

だけどさ、完全に幸せであるから幸せを感じることが出来ないのよ。

だから、自分が幸せであることを忘れ、幸せでない存在を演じて、幸せを目指し、幸せを感じてるのよ。

不幸であることを忘れ、幸せである存在を演じ、不幸を目指し、不幸を感じてるわけではないのよ。

僕たち人間は、完全に幸せだからこそ、幸せを感じたいと願うんだ。

そんなことに気が付いたのよね。

 

僕たちは、すでに幸せな存在である。

そうなるとさ、幸せになる必要なんてないよね。

というか、無理だよね。

もう幸せなんだから。

だけどさ、幸せは感じることができるよね。

どうやって感じるかは、自分の選択しだい。

温泉に入って幸せを感じることもできるし、友人とおしゃべりして感じることもできる。

幸せの感じ方は、自分の意志でどうにでもなるなって思うのよね。

 

僕たちは、幸せになりたい、ってよく口にするけど、もうすでに幸せなんだよね。

だからこそ、幸せを感じたいと願うんだ。

そして、幸せを感じる方法は、数え切れないほどある。

それは、自分の意志で選択できるんだよね。

呼吸に幸せを感じることだってできるんじゃないかな?

もし、呼吸で幸せを感じると選択したのであれば、常に幸せを感じることになるなぁ。

って思うんだ。

幸せをBeingとFeelingで分けて考えてみたら、なんだか色々と腑に落ちてきたよ。

幻想ももう少しで完全に目覚めそうだ。

これからもっと、実感を増やして、幻想から目覚めていこうとおもう。