腕組みのセミナー参加者の腕をほどくには抵抗感をなくすこと
この前、友人とさ、プレゼンテーションについて雑談してたんだけどね。
その時にさ、腕を組む参加者についての話があったのよ。
セミナーとかだとさ、最前列に腕組んでしかめっ面で座ってる参加者とかがいるよね。
どんな姿勢で参加したとしてもさ、それは参加者の自由だとは言え、講師側からしたらやりにくいったらありゃしない。
僕がセミナーをやり始めで講師としての経験がないときにはさ、
「僕の話、退屈かな?」
「なんか間違ったこと言ってるかな?」
なんて、急に自信がなくなったりしてたんだよね。
今では、自信を失うなんてことはないけど、やりやすいか、やりにくいかで言えば、やっぱり少しやりにくいんだよね。
でもさ、講師がやりにくいからと言って、
「あなた、腕組んで話を聞かないで!」
なんて注意するのは、お門違いなのよ。
自分のやりやすいようにコントロールしようったって、そうそううまくはいかないし、腕組んで話を聞くのは参加者の自由。
とはいえ、やりにくいのだったらやりやすい状態にしたいもの。
なんとか参加者の腕組みをやめさせたい。
そんなとき、どうすればいいか?
って、いうと解決策があるんだよね。
その方法は、講師も腕を組んでその人とコミュニケーションをとること。
腕を組んでる参加者と同様に、講師も腕を組んで会話することで、自然と腕がほどけていくんだよね。
これはね、ミラーリングと言って、相手の動きを鏡のように真似をすることで信頼関係を強化する方法なんだけど、これを使うのよ。
腕を組むっていう行為はさ、不安があるんだよね。
自分のことを知られたくないとか、受け入れたくないとか、とにかく自分を守っている姿勢なのよ。
腕をほどくためには、腕をほどいても良いって思える安心感を感じる必要があるのよね。
だからさ、その安心感を感じてもらうために、相手と同じ動きをするってわけ。
腕を組んでいる参加者の前に立って、同じように腕を組み、話しかけるとするでしょ。
そうするとね、次第に信頼関係が強くなってきて、腕を組んでいることが落ち着かなくなってくるのよ。
そうしたらさ、自然と参加者の腕はほどけるんだよね。
ここで僕が感じるのは、相手と調和するってこと。
はっきり言って、腕組んで話を聞く参加者って、やりにくいじゃん。
しかめっ面で腕組んでいる人よりも、笑顔で話をよく聞いてくれる人が最前列に来てくれたほうがこっちも楽しいじゃん。
みんなで楽しくセミナーやりたいじゃん。
でもさ、腕組んでる人を敵にするとか、排除するとか、コントロールするってのは違うと思うんだよね。
他の参加者への迷惑行為があったとか、進行の妨げになったとかなら、なんらかの対応は必要だとは思う。
だけどさ、ただ腕組んで苦虫摺りつぶしたような顔して受講しているだけ。
そんな人を『セミナーをちゃんと受講しない態度の悪い人』とレッテルを張り、抵抗するのは、いささか器が狭いというか、講師力の低さを感じるんだよね。
こうした状況に抵抗するのではなく、そのまま受け入れる。
っていうのが、必要なんじゃないかな。
以前、是空道場で雑談をしていた時に、
「泣いている赤ちゃんと呼吸を合わせたら、泣き止んで寝ちゃうんですよ」
って話がでてきたんだ。
で、早速やってみた人がいるんだけど、呼吸を合わせたらすぐに寝ちゃったらしいんだ。
赤ちゃんが泣くとさ、「お~よしよし」とか言って、泣き止まそうとするでしょ。
これってさ、今起きている現象への抵抗だと思うんだよね。
そうではなくて、その現象と呼吸を合わせる。
そうするとさ、自然と調和がとれてくるんだと思うんだ。
先の腕を組む参加者も同じ。
腕を組むのをやめさせるのではなく、腕を組んでいる人と同じ行動をして調和していく。
そうしたら、自然と腕はほどけていく。
ここがポイントな気がするんだよね。
僕たち人間ってさ、何かちょっと望まない現実が目の前に現れると、抵抗を示しちゃうじゃない?
自分が望むように相手をコントロールしようとしちゃったりするよね。
だけどさ、本当はそんなことしなくっていいんだよね。
ムカつく相手がいるのであれば、その相手にひとまず合わせてみる。
抵抗するのではなく、合わせる。
抵抗するから余計苦しくなるんだよね。
だから、目の前の現実をひとまず受け入れて、それに調和する。
行動を合わせたり、呼吸を合わせたり。
そうするとさ、自然と状態が整っていく。
そんな実感があるんだよね。
抵抗をやめ、調和していくとさ、たぶん敵というものがいなくなるんじゃないかな。
それこそ敵がいない無敵状態。
みんなが味方になっていくね。
世界も味方になるよね。
世界が味方になった人生とか、スゲー面白そうだ。